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現実に右往左往しながら、ときどき動画を作る人の記録。

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世代の話

2009年1月。自分が「作る側」としてもニコマスに関わるようになった月だ。2007年の黎明~拡大期、2008年の発展と技術の急速な進歩の時代を経て、2009年にひょっこりと見る専からその身を移したのはなぜなのかと考えた。im@s新年会までは明らかに1人の視聴者でしかなかったはずなのに、転換点はどこにあったのだろう。

考えれば考えるほど、それはあってないようなものだという気がしてくる。ずっと、それこそ1年半以上見続けてきて、自分の中に積もり記憶を形作ってきたものが、ある日ふと器からしたたり落ち、感性の石を穿った。そして気がついたら、1つの動画ができていた。そんな感覚なのである。

印象的な過去の動画はとめどなく挙げることができるにもかかわらず、そういったことが皆目思い出せないのは実に不思議だ。しかし、私がこうなることを選択した事実は消えることなく、メールに、投稿した動画に、くっきりと1秒単位で刻印されている。そこには、あいまいな記憶を氷漬けにするほどの、冷徹な正確さがある。

2009年デビューPの全てがそうであるというわけではないが、少なくとも私はそうした「スロースターター」な世代であり、湿った導火線を火が伝わっていくまでに多くの時間を必要とした。

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一方で、見る専になったのはいつのことだったかを考えてみる。これも始まりはあやふやだが、少なくとも2007年末にはニコマス動画を少し(本当に、今の頻度から比べればとても少ないが)見ていた覚えがある。

そして、見る専としても、私は黎明期からの人とは世代が違う。私がニコマスを意識して見始めた頃には、ありすえPの作品はなくなっていたし、桃月Pもランキング編集の一線から離れていた。そのため、黎明期に上がった数々の作品群は私にとって実時間に沿うものでは到底なく、極端な例えではあるが、神話やおとぎ話に近い認識でしか記憶の中に見出すことができない。画面に流れるコメントも、その当時を知らない私にはどこか遠い街の喧騒を聞いているようで、決して詰めることができない距離を感じてしまうのである。

このような見る専としてのジェネレーションギャップは、おそらく作る側としての私にも少なからず影響を与えていると思うのだが、残念ながらそれを考察するほど私は自分の方向性を知らず、また知ろうとも考えていないので、例によってお蔵入りになるだろう。

ただ1つだけ確かなのは、語りたい話があり、作りたい曲がある以上、私がこの世界から去るにはまだまだ時間がかかりそうだということだけである。
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