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現実に右往左往しながら、ときどき動画を作る人の記録。

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理由の話

なぜ私は再生数を(場合によってはマイリスト数も)あまり気にしたくないと思っているのかを、しばらく前からずっと考えていて、ようやくそれらしき理由に行き着いた。

"誰かに、ずっと覚えていてもらえる作品を作りたい"

これだ。

覚えていてもらうにはどうすれば良いか。とれる方法は二通りある。一つは、より多くの注目を集め、否が応でも記憶に刻まれるようにするやり方。もう一つは、決して一般受けしないがごく少数の人にとってはとてつもなく印象に残るようにするやり方。

私のやり方は後者だ。あの一連のシリーズは、一見優しくやわらかい話に見える。そのイメージのまま掘り下げていっても、やはり同じように見える。しかし、実際は恐ろしく尖っているのだということに気づいた。あれは、私が研いで、磨いて、誰かの心を貫くよう無意識のうちに作り上げた矢なのだ。誰かの心を留め置きたいという赤黒くもあり、真っ白でもある欲求の塊が、あの裏側には隠れている。

だから私は、(動画の再生時間)×(動画の再生数)という数にではなく、(動画が印象に残った人の数)×(その人の心の中で動画が印象に残り続けた時間)に反応していた。もちろん後者は、誰にも計れないし、誰も知らない。それでもなお、そこにこだわる。

個人的な見解だが、ニコマスに限らず、ボカロもニコニコ動画の作品たちも、その「消費」はどこか刹那的に感じられることが多い。ぱっと見られて、それで終わり。かといってランキングに残り続けると、時には「工作乙」と言われる。コンテンツを味わう時間のようなものが、ちょっと軽く見られすぎじゃないか、という小さな憤りと反発が私をこのような思考に向かわせたのかもしれない。

火のついたトーチを掲げて走るとき、強い風が外から吹き付ければ火は消えてしまう。しかし、自分が速く駆け抜けすぎても、また火は消えてしまうのだ。
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