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現実に右往左往しながら、ときどき動画を作る人の記録。

Liner Note-06(sm8532061)



前回からは3ヶ月空いたなあ。まあ難産だったしね。

毎度おなじみの二人でお送りしております。

さて、この記事はアイドルマスター 「一人足しても、それはしあわせ」(亜美・真美)の解説のようなものです。中身等についての詳細は、「続きを読む」からどうぞ。
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話を考える上ですごくすごく悩んだこと。それは亜美・真美の幼さ。公式の設定ではまだ小学生です。その頃、いったい自分は何を楽しいと思い、何をつまらないと思い、日々をどのように過ごしていたのか。「思い出」というフィルターを通してではなく、厳密な「記憶」としては、正直なところまったく覚えていません。小学生の頃の、「ありふれた日常の記憶」を覚えている人がいたら、それはすごいことだと思います。

そのため、そういう年齢での「日々の空気」みたいなものを想像するのが非常に難しく、書いては消し、書いては消し、もうやめようかとも思いました。前作を上げてから二ヶ月くらいは、そうしてだらだらと流れていってしまったわけですが、結局はちょいと吹っ切れることにしました。


ナレーションを主にしない。


筋の通った何本かのナレーションの間を自分の文章でつなぐのではなくて、自分の話と話の間をナレーションでつなぐ。こうして、今までのものと見た目は同じでも、ナレーションと文章の主従が逆になったこの話ができあがりました。また「幼さ」については、二人の年齢を上げて中学生になった頃の話として書くことで表現の縛り(語彙・言い回し)を緩めました。


多少内容についても書いておこうと思います。
二人が仲直りした後の文章は、それまでの話からは浮いています。一部に回想を含む、転校生くんの心の中でのつぶやきですが、再掲すると

最近、父さんは
「時間が経つのは早いものだなあ」と、
口癖のように言う。

僕たちもいつかそれを、父さんがそうするように
少しさみしそうな顔で言う日が来るのだろうか。


けれど、どんな時代だって。

そう、いつだってきっと。

ほんとうに大切な言葉は、じつはさりげなく置かれている。


となっています。この文には二つの意味があります。

一つ目。
いつの日か二人で舞台に上がったり、インタビューに答えたりするであろう(もしくは私がそう願っている)亜美と真美について。もしそうなった時、彼女たちは自分たちが片方ずつ出ていた過去を振り返ってどう思うだろうか。私は、それを少しでもさみしそうな顔で言ってほしくない。そう思います。不憫だとかいい子だとか、そういう言葉を足さなくたって、彼女たちは生きていけるはずだよ。

二つ目。
いつかは終わってしまうニコマスについて。あなたは、引退したPの人たちをふと振り返るとき、さみしそうな顔をしていませんか。顔には出ていなくとも、心の中では日が陰ったり、雨が降ったりしていませんか。もしそうならば、「何やってるんだ」と叱りたい。「今」を楽しみましょうよ。10年後や20年後に今日を見つめたとき、郷愁の色眼鏡をかけずとも「楽しかった」って笑顔で言うために、今をもっともっと見てあげてください。

そして、動画の感想をブログなどに書くとき、感じた良さが文章に落とせなかったとしても、それで悩む必要はないと私は思います。ある動画を見て、「いい」と思った。「楽しい」と思った。それでもういいじゃないですか。無理に百の言葉を並べ立てるより、見終わった直後のたった一言の方が、きっとあなたにとっては大切な言葉なんじゃないかと、そう思うのです。
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