ガラス玉の話 閑話 2009年06月10日 ガラス玉の話をしようと思う。 あらゆる作品は、一つのガラス玉だ。別にニコマスだけじゃない。ニコニコ動画以前のFlashムービーも、ニコニコ動画以後の他ジャンルの作品・他サイトの作品も、それら全ては一つ一つが違った輝きを包んだガラス玉になっている。そうしたいろんな色の粒は、かちりかちりと音を立てて、真っ白で広大な紙の上を滑っていく。それは昨日もそうだったし、今日もそうだし、明日もたぶんそうだろう。 ところで、あるものに色がついていることを私たちが認識するためには、それが「見えて」いないといけない。見えるために必要なものは光。私たちはものを見ているのではなく、ものに反射された光を見ている。そのように作品を照らし出し見つけさせてくれる光は、言語だったり、紙だったり、電波だったり、あるいはくもの巣のように張り巡らされたウェブだったりするわけで、それらが入り組んで飛び交っている世界に、今日私たちは立っている。 気まぐれに転がっていくガラス玉たちが、紙の上に一瞬だけ残す色の反射。その色をよく見て、なぞって、言葉にするのが私が話を考えるときのやり方だが、同時にそれはいつまでたっても終わることのない思索の過程でもある。 何とも取りとめのない無駄話になってしまったが、結局、こんな話で何が言いたかったのかというと、私は拾えなかった色との交差を経て、ある日たまたま形にすることができたいくつかの話や作品というものに対して、次の言葉をかけたかっただけなのだ。 「ありがとう」 PR