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現実に右往左往しながら、ときどき動画を作る人の記録。

dbdbPと朗読Pがリナカフェに長居してお話したよ

かき混ぜないぬか床に放置されたきゅうりのごとき期限切れ感が否めない内容ですが、せっかく文字起こししたんだし、上げれば誰か読むんじゃないかなー、という泡のような期待を持って投稿してみる。

ただし、もし次の記事を読んでいた人は、この記事を読む必要はないと思いますw

参考記事(いずれもdbdbPのブログ):
ということで、1月にdbdbPとジョナサンで話した後、二人でリナカフェに移動して、再び対談したときの会話を記事にしてみた。前回の記事はこちら

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dbdbPマイリスト:


朗読Pマイリスト:
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[過去の蓄積と期待感]

dbdbP:あのアンケートの結果を見ると、思ったよりみんなが動画を見ていないという話をこないだしたけれども、何で見ていないのかなあ、と考えたときに僕個人としては、まあ日常の忙しさだとかそういうものもあるんだけども、それ以上にニコマスの新しい動画に対する飢えみたいなものがなくなってきていることが原因かなと。もう過去にいろんな名作が出てきているし

それこそ春香さんのすごくいい動画が見たいと思ったら、僕は新しい動画を探しに行くよりも、museP(タグ検索)の動画を見た方が確実なわけね。過去のマイリスをあさったりして。大作が見たいと思ったときだって、新しい大作を待ち望まなくとも過去の名シリーズがいっぱいあると。すごいシンクロが見たかったら、僕はyotaP(タグ検索)のファンなのでそれ見るし。特に「?でわっしょい」がすごいと思うのだけども、まあそれは余談



朗読P:yotaPかあ。確かに

dbdbP:そういうのを過去から探した方がまず必要な労力が少なくて済むし、しかもそれが良いことはすでにわかっているからリスクも無い。その意味で、何か飢える気持ちが弱くなっていると同時に、期待感と言うか、要は人間って麻痺する生き物だから、あのときはすごく感動した技術でも、こんだけ溢れ返るともう何とも思わなくなっちゃうみたいなところはある

新しい動画が、今こうしている間にも日々上がっているわけだけれども、例えばみてれぅとかで新着のサムネがずらっと並んでいるのを見たときに、画面的に「これはノベマスなんだな、こっちはPVなんだな」とわかったとしても、そこから感じられる期待が僕の中で鈍っている気がする。これが僕だけの感覚なのか、ニコマス全体として慢性的にそうなっているのか、それはわからないけど、動画ってどうしても期待感がないと見られないじゃん。「良さそうだな」と思ってもらえなかったら、クリックしてもらえないし。まあ、ついてるP名見て「この人のだったら、面白そうだな」とか「この人の新作だったら見たいな」とか補正かかれば別だけど

だから、今まで過去に様々なPVにしろノベマスにしろ、架空戦記にしろ名作や大作というものが出てきたけれども、僕らはそれの毛色が変わっただけのことを、マイナーチェンジをやるだけじゃなくて、3A07のようにといっては極端だけど、ぐっと新しい機軸のものを入れていかないと、新しい期待感というか、「今までの誰のマイリスにもこんなものは入ってなかった」という新しいものを作るぞ、って思いが強くないと、積極的に新しい動画をどんどん見よう、という状態にはなりにくいんじゃないかなあ。特にPはね

ただそういう感覚を、どういうふうに記事にするかというのは全然まとまってなくて、まあ今回の分析を終えた後にどう感じるかということもあるし内容はまだ全然わからないけど、例えば純粋に数字を伸ばす、って話になったらやっぱり「期待感を稼ぐ」ってのはすごく大事だと思っていて、その最たるものがおそらくMSCだと思うんだよね。MSCは別に良作である必要はなくて、「良作っぽい」ものであれば勝てるシステムだから。タクヲさんの「サンデイ」だって、当初の時点では完成すらしていなかったわけだし。完成していないPVなんて良作以前の問題なんだけども、だけれども実際に優勝したし。まああれは、いざ完成してみれば間違いなく名作だったから、別にサンデイのクオリティが云々って話じゃないけど



そうすると、ノベマスがPVに比べて相対的に伸びにくい、いやもしかしたら今は大差ないかもしれないし、逆転しているケースもあるだろうけど、その要因の一つにやはり期待感を稼ぎにくいというのはあるんじゃないかな。要は、ノベマスって映像美の世界じゃないから。読んでみないとわからない。その一方で、PVはぱっと見でわかる。サムネでも「何となくすごそうな感じ」はある程度伝わると思うし。他のジャンルで言えば、ボカロだとオリジナル曲で伸びない動画は本当に伸びていないと思うのね

朗読P:とことん埋もれるものもあるね

dbdbP:僕もそんなにこまめに見ているわけじゃないから、ちらっと見た印象なんだけど、本当に埋もれている動画というのはコメントもつかないし、再生も伸びないし。まさに「誰も見ていない」という動画が、実際に数えてみるとおそろしくたくさんあると思う。でもそれっていうのは、やっぱり期待感が原因だと思うのね。音楽って聞かないとわからないから。それだけの期待を持たせる、音楽以外の部分からの期待感が最初の段階で存在しないと、間口を狭く感じてしまうというか

朗読P:昔はボカロも、静止画一枚であっても曲が良ければ伸びたんだけど、最近伸びているものといったら曲がいいだけじゃなくて、歌詞の内容が視聴者層にかちっとはまるものすごいストーリー性を持っているとか、超有名なPの新作とか、あとは元の曲は静止画でもその曲に惚れた別の誰かがすごいPV作ったとか、そういうものがほとんどで、それが不足していると本当に爆発的な伸びということにはならなくなってきていると思う

dbdbP:なるほど

朗読P:だから、ボカロもニコマスも一次創作と二次創作の違いはあるんだけど、結局のところ伸びしろなり可能性なり、その類のものは外的要素がないと、一人じゃどうしようもないというか、曲の制作者だけが何とかしようと思っても難しい面と言うものは出てきたんだな、って

dbdbP:そうだね

朗読P:あとボカロの方が活発だ、って思えちゃうのは確かに伸びている動画・ランキングに載るような動画の数がボカロの方が多いということが原因だろうけど、また一方で、ボカロで埋もれている動画の数はニコマスの比じゃないほどもっともっと多いとも思うのね。そうした伸び:埋もれの比率で見れば、どちらも飢餓感の欠如があったり、また新しいことに挑戦していこうという人はいっぱいいるのだけれども、その人たちが果たして創作をずっと続けてその場にとどまるというモチベーションを保てるかどうかって所は、同じ気がする

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[情報爆発]

dbdbP:新しい、「こういうことをやると面白いんじゃないか」と思っている人はいても、そこまで受け手側がついていけてないというか、要は実例をもって「こんなふうにしたら面白いぜ」というのを見せてくれて、それが一本ドカンと伸びればそれを受け入れる層も生まれると思うのだけれども、結局それを受け入れる、見たことが無いものに対して抱く期待を見る側が十分持てていないよね。見る側として満足しかけている。制作者としては、作りたい新しいものはいっぱいあるんだけど、見る側が、これからも今までみたいな動画が続くというか、同じようなものが出続けている錯覚に陥っているようにも思う

ちょっと調べたら、08年と09年の処女作タグ付きの動画では09年の方が数は多かったんだよね。40件くらいなので誤差と言ってしまえばそれまでだけど。たしか09年の方が890件くらいで、08年は840~50件くらい。ならせば日に二人はデビューしている。それを考えると、それだけ制作者が増加していったら、そりゃあまあ毎日数十本の新しい動画が上がるのもうなずけるな、と。そこに、平均値でいけば6割くらいの人が1日あたり3本も見ていない現状なら、僕らの多くは月換算だとそれら上がった動画の9割以上を見逃している

じゃあ、残りのたった1割はいったい何で選ぶのかといったら、繰り返してきた通り期待感で選ぶんだけども、その期待感すらも過去の名作に勝てなくなっているとしたら、今のニコマスって言うのは今までニコマスの人気を支えてきたもの以外の魅力を自分自身の中に見出さないと、たぶんジリ貧になっていくんだろうな、と。ある程度冷めた一意見ではあるけれども

その中で、未だに月に600本以上見ている、誇張でも何でもなく本当にそれだけの数を見ているという人も確かにいて、またそういう人が身近にけっこういるもんだから、僕はその感覚にちょっと引っ張られていたけれど、やっぱりその人たちが数パーセントいたところで流れは変わらないというか、大きな流れとしては変わりづらい部分はあるのだろうな

朗読P:あのアンケートに答えてくれた人たちの中で、Pではなく、またTwitterあたりにいる固有の名前のついた視聴者でもない、名無しの見えざる視聴者というかね、コメントくらいでしか表に出ない、暗黙の中にいる圧倒的な数の視聴者の人たちにも、そういう期待感の麻痺、減衰が蔓延し始めているという状況が、もしあのアンケートから読み取れるのだとしたら、悔しいけど確かに衰退論めいたものが出てきても、声を大にして反論はしづらいなあ

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[憧れはゲームを破綻させるか]

dbdbP:僕が1日に3本も動画を見ていない現状、これを少ないと思っていたことは前にも話したけど、みんなも1日に3本くらいしか見ないことについては同様に「少ない」と感じるのではないかと思っていた。「他の人はもっと見ている」と。でもあのアンケートで、まああれはニコマスの中心部に偏った集団でのアンケートだったけれども、だからこそその中心部ですら動画を数多くは見ていないという事実が明らかになってしまった

僕らは、今までデータとか何も無い状態で、「自分が日に3本しか見ていないのは、少ないんだ」と、「もっと見た方がいいんだ」と思っていたけど、実はそれがそう珍しいものではなくむしろ多数派だったということで、一種の安心感のようなものに繋がってしまうと、まずいよなあ

朗読P:確かに

dbdbP「なんだ、結局データとってみたら俺って別に普通なんじゃん」、「普通よりちょっと多いくらいの位置じゃん」という安心感、あるいは「ああ、やっぱりみんな見ていなかったんだね」という諦める感じを与えるきっかけに、あのアンケートがなってしまったとしたら、それは怖いな、って

でもデータとして出たものは、事実として考えていくしかない。Pが、見る専の人たちよりも見ていないというのは、ある程度しょうがないとは思うのね。その人たちと同じくらい、月に300本とか400本とか見て、それでなおかつ現役で制作もするとなったら、日常生活的にきわどいラインまでいっちゃうから。それはしょうがないとしても、やはりライトな視聴者層に比べて、コアな視聴者というのはもっと見ているはずなのだから、仮にこれでもっと範囲を広げてバランスの良いサンプリングを行い、すその方にいるようなライトな層にもアンケートをしてみたところで、平均視聴本数が増えるかといったら、そういうことはないだろうと

また日に2人以上のペースで新規のPが増えていく中で、一方ニコマスというところに新規の視聴者として入ってくる人間がどれだけいるか、と考えると、データの通りなら徐々に減っているわけで。ニコマス自体の人口が増加するよりも、遥かに速い速度でニコマス内でのPの人口が増え続けているとしたら、視聴本数は減る傾向になるだろうし、何かしら見たい動画、自分で作ってみたいものがあってPになるのだろうから、他の動画に求めるよりも自分の動画でそれをやりたいと思って、ますます見る機会は少なくなるのかな、という気はするんだよね

2010年でどれだけ新規のPが増えるのかはわからないけれども、これだと制作者ばかりが増えて視聴者が減っていくというか、相対的に。この構造って、小さい頃に友達とやっていた遊びの終わり方に似ているなと思う。例えば、簡単な鬼ごっことかでも、いろいろなルールが追加されていくわけじゃない、小学生あたりだと。厨二病、というかまあ小二なんだけども。「ここはバリアゾーン」みたいな。そうすると、遊びの中で優位な立場にある人が出てきたりする。鬼ごっこだったら、初めは鬼がいて追いかけられるわけだけれども、バリアゾーンには鬼は入れない。そのままだと面白くないから、やがてバリアゾーンには時間制限がつく、というようにルールが増えていく。それから、今度は鬼でも逃げる側でもない中立の勢力みたいなものが出現する。で、その人たちはバリアゾーンを自由に作れる、と。そんな変なローカルルールがどんどん増えていくと、「人気のポジション」みたいなものが出来上がる。ニコマスにおける売れっ子Pみたいな「憧れのポジション」がね。そうすると、みんながそれになりたがる。だけれども、小学生のコミュニティなんてものは人数に限りがあるから、どんなに広がってもクラスの内輪で終わったりとか、学年の内輪で終わる。で、みんながいいポジションになりたがって争った結果、ついにはゲーム自体が成立しなくなってやめちゃう

ニコマスに限らずMADの界隈っていうのは結構それに似ていて、要は制御する自治が無いし、自治をするようなものでもないから、それぞれ有志でやっている、好きでやっているだけであって、なりたいものになろうとするし、憧れているところに近づこうとする。そうなってくると、全体のゲームを成立させるためのバランスが崩壊しても、誰もブレーキをかけないから、極端な話ニコマスに関わる人全員がPになる、まあそんなことはないけど、アンケートだと元Pも含めると3~4割がP経験者なわけで、これが進むのならばきっとそのうちヘビーユーザー層では半数以上がP、みたいな状態にもなるのかなと。そこでPの「内輪感」みたいなものがどうしてもニコマスに広がるような気はしていて、いくら「楽しければ終わらない」とはいえ、一定以上そのバランスを崩してしまうと楽しかったものも楽しくなくなるんじゃないかと

朗読P:気合を入れて作ったのに、再生数で見ると漸減していったりしてねw

dbdbP:そうそう。「いったい誰が(作ったものを)見るんだ」という話になる。今までなら、動画を作ればそれを見てくれる視聴者と言うものが確実に大多数存在して、その人たちが盛り上がってくれていたから、僕らはそれをショーとして、エンターテイメントとして提供することである程度満足感を得ていたし、そういうような構造を見てニコマスに入ってきたけれども、あまりにもそうして入ってくる人たちがここ最近で着実に、むしろ勢いを強めながら増え続けてきたことによって、視聴者側がついてこれなくなった。そりゃそうだよね、月に3000本とか誰も見れない

そうするとさ、すごく言い方は悪いんだけど「相手にされない」人も出てくるわけで。かといって、彼らの作るものの内容が悪いかと言ったら、別にそうじゃない。技術もあり、他のところから比べると画質も良い。見てみたら面白いんだけども、量が多すぎて「ごめん、見れない」みたいな。で、中身が悪いから見てもらえないわけじゃないとなると、その現象は誰にでも起こるわけで、まあP名補正とかネットワークでうまく宣伝出来る人はそこそこ免れられるけども、そうすると「昔ならもっと伸びたのになあ」と言われるのも無理はない

ある意味では、小学生の遊びの終末期にニコマスもいるのかなという気はするけども、ただまあやっている人、僕らは小学生ではないから、ここからどうなるのかなということは簡単には読めないね。僕らのようなニコマスのコアな部分にいるPから見て、「あまり僕らが僕ら自身のことを見ていない」と思っているだけで、実際には外側にもっといろいろ見てくれている視聴者がたくさんいる可能性もあるかもしれないけどね。だけど、それを今回のアンケートでは捉えられなかった

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[吹き抜ける熱風とポスト御三家]

朗読P:その先がある日突然ガクンと停止してしまうのか、それとも何か跳ねる要因を見つけていくのかどうかと言うことは、今予想することすら難しいし、だらだら並べていったところで、それは予想ですらない何かでしかないけど、ほんとに、どうなっちゃうんだろw

dbdbP「この先ニコマスはどうなるのか」みたいな大仰なタイトルを付けてしまうと、それはもう予測し得ないけども、結局何か一つのムーブメントというか、ブームというものの興亡を見ると、トレンドになった後は拡散して日常に溶け込んでいくんだよね。僕らの血肉として消えていく。それが今までの世の常だったわけだけれども、じゃあこのニコマスはどう血肉になるんだとw どう扱ったものか、難しいなあ。映像技術がね、これからの別のテーマに活かされていくだろうとかそういう予測は簡単なんだけれど

朗読P技術以外のね、経験とかアイマスというテーマ自体が果たして日常にどう還元されるのかはわからないよね

dbdbP:この間、「ニコマスもここまで来たんだから、他のジャンルみたいにあっけなくは終わらないだろう」というような話をしたけど、あるブームが、またブームよりもっと大きな「文化」だっていつまで経っても終わらないなんてことはないから、同じようなことが永遠に何かしらの形で続くことはないにしても、今僕らが結構何だかんだと言ってもあの頃の熱狂的な空気にあてられているというか、あの頃の思い出に支えられている部分ってのは多少なりともあると思うのね。僕は最初期の頃を知らないから、その頃をよく知っている人には「違う」と言われるかもしれないけど

でもやっぱり、一昨年の、08年頃からのニコマスの盛り上がりを知ってはいるから、その僕ですらあの頃の楽しさって言うのは胸に残っているし、「ああいった雰囲気をもう一度何かの形で味わえたらな」と思わないか、と問われたら「NO」とは言えない。あの思い出補正を超えるような新しい何か、っていうのが出ないとさすがにそう簡単には今のニコマスって捨てられないよね。みんなもどこかで大なり小なりそう思っているところはあるんじゃないかな

もっとすごい何かが素材として提供されるとか、まあ今はMMDがどんどん進化しているけど、素材の品質が上がったところでやることがPVの制作なんだったら、おそらく僕らはかつてアイマスに初めて触れたときの衝撃をもう体験できない。そのくらいインパクトのあるものが登場しないと、このアイマス、ニコマスは倒せない。だから、もし新しい何かが下剋上して、アイマスを御三家から引きずり降ろそうと思ったら、それは並大抵のことじゃないよね

朗読P:積み重ねられてきた熱狂、そしてその残りを振り払うほどの速度で突っ込んでくる弾丸でも飛んでこない限りは、一度心惹かれてしまった概念ていうのはたやすく崩れそうにないし。また、そういう新しいコンテンツを生み出せるだけの発想を思いつく余力が、自分たち以外のね、ゲーム会社などにどこまであるのかな、とも思う。そこまでものすごく大きな外乱を起こせそうなエネルギーを持ったコンテンツビルダーがいるのか、って

dbdbP:今となっては、御三家の中で比較的勢いの弱まっている(ように見える)ニコマスだけれども、まがりなりにも二次創作でありながら御三家におさまるまで上り詰めてきた経過を思い返すと、他の二次創作、例えば今期に流行っているアニメのMADなどは瞬間風速ではニコマスを上回るだろうけど、その勢いを3年間持続できるかっていうと無理だよね。またそのコンテンツビルダーの側に目を向けると、彼らが十分評価されるような環境でもあまりない

朗読P:彼らがすごく面白いものを作ったときに、十分なインセンティブが得られる環境なのか、というと残念ながらそうではないことの方が多いんだよね

dbdbP:僕らも著作権無視して、わかっちゃいるけど見ない振りをしてMADを作っている身だから、あれだけどもw

朗読P:そうだね、グレーどころか真っ黒だからね

dbdbP:著作権とかそういうものが法律として明文化されていても、実際にはコンテンツをいくら創造したところで流用されたりコピーされたりしていることが横行している現在だから、革新的な何かを求めたところで、その問題をうまく解決して制作者が利益を確保できるシステムが構築されないと、本来の発想の鉱脈は枯れてしまうかもね。ただ、それがもし作れたら、新しいものを思いつくその余力っていうのはまだまだあると思う

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[僕らに見えるもの、見えないもの]

dbdbP:僕らも「ニコマス」と単語を口に出すことは簡単だけど、それが何なのかはよくわかってないしね

朗読P:こうしてあーだこーだ言ったところで、考えれば考えるほど、腕組みして悩み始めてしまうようなところは変わらないね。また、考えて「わかった」なんて言っても、それはわかったような気になっているだけで、所詮はニコマスのある一面だけが見えているだけに過ぎないのだろうね

dbdbP:「MADであって、アングラな遊びなのだから、そんな体系的な考察なんてする必要がない、楽しめばいいんだ」という意見はまあそうなのだけど、僕なんかはその考えすらも体系の一部なのだと思う。結局人間はそういう思考の檻から逃げられないというか、何かしらの言語を使って心を言葉で表現する限り、論理的に考えざるを得ない性質を持っている。これは僕の個人的なポリシーだけど。仮に、やっぱり最後は享楽主義的な結論になるのだとしても、議論であったり考察を経た上で到着するべきだと思う。最初からそこに直行してしまうのは、あまりにも薄っぺらい

朗読P:で、今のこの二人の話を単純な悲観論だと捉えてほしくもないよねw

dbdbP:そうそうw まあ悲観というか、とりあえず現状を認識しないと楽観もできないと。それを悲観を言うのであれば、現実から目をそらして今を楽しむという刹那主義的な、そしてそれこそがポジティブシンキングだという意見は、実際のところ全然ポジティブではなくて、前向きに考える対象であるはずの現実すらまともに見ていない状態だから。今回は、今がどうなっているのか観察してみましたよ、ということなんだよね

朗読P:繰り返すけどここで二人が見ているのは、あくまで一面であって、内側から見た狭い世界だってことは強調しておかないとね

dbdbP:僕ら二人のフォロワーを合わせたところで、1000人にも満たないわけだし(【筆者注】:1月当時)。僕らの認識を受けて否定的になるというか、弱気になる必要もない

人間の認識できる世界なんてそんなに広くなくて、例えばニコマスに実際は2万人の視聴者がいたとしても、2万なんて数は僕らは数字でしか捉えられなくて、またアンケートをしてみたところで、結局はデータを通して見るしかない。それぞれ一人ひとりを理解できるかと言ったら、僕は今話している朗読さんのことだって大して理解できていないかもしれないし、動画が2万再生したといっても、その数字はいったいどういう人たちが見た数字なのかなんて、もうさっぱりだし

そのとき、確かにPは「たくさんの人が見てくれたんだな」と感謝はするけれども、Pの目にとってその数字は人間の顔ではなくて数字としてしか映らない。今こうして話している間に、誰かが僕の動画を紹介してくれたりマイリストに入れてくれたりということはしているのだろうけれども、それを蔑ろにするつもりはなくても、僕らがそれを事細かに現実として認識できるか、という所は申し訳ないけど勘弁してください、と

だから、アンケートの結果については、各視聴者の多様性が云々の批判を受けるかもしれない可能性はとりあえず脇に置いて、ただ僕らがこうやって内輪の立場から身近な人たちを見てそう思ったということは事実なんだ、という所だけ知っておいてもらえればと思う
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