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現実に右往左往しながら、ときどき動画を作る人の記録。

レスター伯Pと朗読Pが好きなことを好きなように話してみた (1)

どこかで見たようなタイトルの記事が帰ってまいりました。
ということで、11月22日~23日にかけて京都に旅行した折にレスター伯PやハバネロPとオフ会をした際、イノダコーヒー本店にて2時間ほどレスター伯Pとコーヒーやケーキを味わいつつ、雑談をしてきました。この記事は、その時の二人の会話をもとにしたものです。

全部一度に文字起こしするのは骨が折れるので、またしても小出しにちょっとずつ更新していく予定。今回は初めの15分ほどの内容から。

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対談時のイメージ画像:
inodacoffee

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レスター伯Pマイリスト:




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朗読Pマイリスト:

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[視点と文章]

朗読P:突然ですが、レスター伯Pに贈り物があります

レスター伯P:マジですかw

朗読P:ハバネロPにもあげたんですけどね、オフ会限定でその日のメインゲストの人に非公開の手書きSSを一本プレゼントするという

レスター伯P:おー、すげえ。SSは全然書かないんだよなあw

朗読P:私もこういう機会がないと書かないですよw

レスター伯P:小説は書いたことあるんですけど、短編の

朗読P:ほうほう

レスター伯P:SSって苦手なんですよ。読まないっていうのもあるんですけど

朗読P:元々は、最初のオフで柏城Pに絵をもらったとき、即興で書いて贈り返したのが始まりで。じゃあ、次回からメインの人には何か一本贈ろうかと。他にはごまうPにはるちは、ハバネロPには真で(【注】レスター伯Pには春香で贈りました)

レスター伯P:(一通り読み終えて)やっぱ春香さんのSSって、こういう感じになっちゃうのかな(【注】SSはエンディング後の春香のある一日を春香の一人称視点で語る内容)。みんな書くときは

朗読P:どうですかね。そういう風に書くものもありますし、そうでないものももちろん

レスター伯P:僕は、あれなんですよね。春香さんの視点で書けないんですよ。たぶん

朗読P:ふむ

レスター伯P:僕は、小説もそうなんですけど、書くとなるといわゆる私小説しか書けない。たぶんですけど。特に一人称の他人視点は書けないと思うw 三人称ならともかく

朗読P:なるほど

レスター伯P:あんまり、こういう文章を書くのが元々苦手っていうのがあって。論文ならいくらでも書けるんですけどね

朗読P:www

レスター伯P:実はそれほど日本語が得意ではなくて、書くのは。要は、すっごい平易な日本語で書いちゃう。先生とかにも言われるんだけど、「君の日本語はすごくわかりやすいね」ってw

んー、「わかりやすい」っていうか、上手い・下手とかではなくて簡易な・平易な表現で書くっていうのが多いな。で、小説家もあんまり凝った文体は好きじゃない。ハルキストな理由もそのあたりで、村上春樹の文体って簡単とは言わないけれど、平易じゃないですか

朗読P:そうですね

レスター伯P:言い回しとかはそんなに凝ってなくて。書いている内容はあれですけど。どちらかというとそういう文体でずっと慣れてきているので、SSってこうある程度文章を凝るというか自分の味を出さないとダメだけど、僕はそこが出せないので困ったもんだなあ、とw

朗読P:自分の味ですか

レスター伯P:そういうのがあって、ノベマスはやる気がないんですけど。いや、ノベマスはノベマスで全然違うかなという気もするけどねw

ただどうしても理屈っぽくなっちゃうんでね、文章を書くと。どうもそのへんでなあ。文系の大学院生なので言葉を使う職業なんですけど、そんなに言葉自体にはこだわりがなくて、「伝わればいいや」って
だから基本的には(SSや小説は)書けない。書くくらいなら、しゃべる方が断然いいかな

朗読P:少し意外です

レスター伯P:そうかな。あと、「書く」というのは原則として一人なんですよね、行為として。それがあんまり得意じゃない。人としゃべっていると、相手の話したことに反応していろんなものが出てくるけど、一人で冷静に書こうとすると全然出てこなくなっちゃうタイプだなあ。研究でも、論文書くよりゼミで発表して議論する方が好きだし

朗読P:わかります。いざ書こうとするときのあの言葉とアイディアのわいてこない感じがw

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[創造と編集、そしてオリジナル]

レスター伯P:そういう意味で、関連するかはちょっとわからないけど、この間赤ペンPがブログで自分のスタンスについて書いていて(参考URL)。

要約すると、一から全部作るのではなくて、エディットするっていう。(既に)あるものを自分で編集して言ってものにすると。僕もどちらかといえば、そっちかなと。だからPとして作っている作品も、特にPVは基本的にノーマルPVという素材があって、で、自分が気に入っていて見せたい表情とかがあって。

それを自分なりに配置していって作るから、やっていること自体はたいしたことしていないと思うし、「(作品が)良かった」って評価されたのだとしたら、それは元の素材が良かったからというのが一番(の要因)になってる

朗読Pアイマスの元PVはきれいですからね

レスター伯P:あれはねw 帰国して、箱買って、HDMIで37型の液晶テレビにつないで見た瞬間に、「ああ、もうこれはニコマスなくてもいいかな」って正直思ったものw

朗読P:dbdbPと前に話したときに出た話題なんですけど、AfterEffectsなどでどんなに美麗な効果をかけても、箱○本体で遊んだときのきれいさには敵わないよね、と。それほどオリジナルの力は強いんです

レスター伯P:箱でやって、初めて「UP」が本当に「近い」と実感したなあ。もちろん発色も全然違うし。自分がPV作るときに一番気を使うのはシンクロで、次が色合い・色調だけど、オリジナルの色っていうのはやっぱりすごいな。モーションの滑らかさとか、それこそ雪歩の髪が“ふわっ”てなるあれもすごいけど、それを圧倒してあの色合いと大画面でもきれいに映っているという事実が印象に残る。

だから最近の高解像度・高ビットレートが(制限撤廃で)できるようになったことの問題は、公開して見てもらうのならそんなに(解像度・ビットレートを)上げない方がいいのかなと思う一方で、ニコマスってやっぱり僕もそうなんですけど、アイマスのオリジナルを見る前にニコマスを見始めた人もいっぱいいるから、逆に高解像度で上げてオリジナルのきれいさに近いものを見てもらいたいというのもあるのよね。

自分が見たいというのもあるし、そうしたほうが「質」がいいと言えば、まあおそらくいいんだろうなというのもあるし。でも、それって箱を自分でやって初めて思ったんだよねw それまでは、別に「MADだろうな」と考えていたけど。あ、MADだと思わなくなったわけではないよ。ただそのくらい驚いたってことで。まあホントにね、あの素材があるから今(動画制作を)やれているとは思う

朗読Pコンテンツの受信と発信が同時にあるジャンルならではの葛藤ではありますね

レスター伯P:あとアイマスの何がいいかって言えば、ダンスモーションが決められていて、16曲とDLC足して30数曲くらいの中から選べるっていうのが、個人的には作るうえでちょうどいいバランスかな。要は、自由度もそれなりにあるし、アングルとかの制限はあるけども、あの中から選べるからまだ作れる。あれがもし、一から自分で振り付けをやれ、って言われたら多分、いや絶対無理だわ

で、かといって他のアニメMADに比べて「ダンス」っていうところで一本の軸があるから、音楽に合わせるときには特に。アニメMADだと、どういう風に見せるかについてすごくいろいろな手法があって。だけどアイマスだと、自分がそうだからそう思っているだけかもしれないけど、BPMちゃんと計って、それに合わせて、で、曲が盛り上がるところや歌詞に応じてダンスを使い分けていく。そういう一つの方法論に沿えば、言い方は悪いけどテンプレとしてできる

それが、(自分にとっては)逆に敷居が低いと感じさせているおかげで、今やれているのかな、と。特に同期のPとかが何かいろんな演出を凝っているのを見るとね。だって、どう考えても自分が作っているPVは、技術的には底辺と言われても仕方ないことしかやってないし

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[制作に対する姿勢]







朗読P:最近でこそ3本ほどPVを作りましたけども、元々はあの朗読シリーズがあって。「Glim」も「Light」も最後に言葉を入れているのを見ると、私はそうだなあ、えっとgarakutaさんがTwitterで言っていたんですけど(参考URL)、「言葉に賭ける」んですよ目の前の言葉のイメージ以上に、言葉の裏側というか、見た人が何を思うか。それはもちろん均一ではないですけど、その言葉を見たときにあなたはどう考えるのかというところまで心のどこかで要求しちゃう。欲張りですが、でも私はそこまで言いたいし、知りたいという。だから言葉を入れたい

レスター伯P:なるほどなあ

朗読P:あと、一番新しいの(「0:54」のこと)に使った曲は8ヶ国語の言葉で「世界規模の伝達、音の媒体を通して伝えられた、感動的な表現!」と言っているのですが、それも別に今目の前で流れている、聞いている音楽だけではなくて、音楽も含めたアイマス全体みたいなものを、世界規模というには言い過ぎかもしれないけど、どう思っている?、と。映像の中に字幕は入れないけど、見たままのところから問い掛けてみたいな、と思って

レスター伯P:僕はどっちかっていうと、そういう問いを発するという意図は全くなくて。自分の作品自体で。「伝えたい」っていうのはあるけど、そこからどういう答えが返ってくるかはさほど求めないな。

リアクションは見たいんだけど、さらに深く「こう思う」みたいな感想が欲しいわけではなくて、単純にね、演出自体がそうなんだけど、まず自分が興味を持っていることがあって、で、興味があるからやるわけで。

そして、僕はマイナー志向というよりも「誰もやらないこと」が気になる。それをやるんだ、それを伝えたいのが一番。それがわがままっていうか、一方通行といえばそうなのかなとは思う。「何でそれが必要なの?」と言われると毎回答えに詰まっちゃうんだけど。

研究の方もね、自分がやっている研究自体を他の人が誰もやってくれないから。日本では誰もやってないけど、自分が気になることをやると。果たしてそれが研究になるのかっていうのは、よくわからないし、多分未だにみんなそう思ってるような気はする。例えば、「スポーツの研究って何の役に立つの?」って言われたら、特に歴史だと、何とも言いようがないけど、やっぱりそういうのが究極的にはあって(【注】:レスター伯Pの専門は西洋史。特にスポーツ史研究)。

ただ、それはどんなものも問い詰めていけばそうなると思うんだよね。テクノロジーですら。ウチは弟が車のメカニックで、親父と真ん中の弟が船のエンジン屋で、要は一家そろってエンジニア。自分以外は。そんなプラグマティック(pragmatic, 実用的な・実用主義の)な一族の中で、一人だけ研究者で、しかも文系、歴史。突然変異じゃないけど、どう見てもそういったところに関心を持つような環境ではなかったところから(自分は)出てきていて。でも、逆に言うと周りでそれをやっている人が誰もいなかったから、気になってやっているという。

元々教養講座でデビューしているのだって、あれは二つ目的があって、一つはイギリスの歴史を伝えたい、というか自分がやってたからやりやすいというのもあるけど。で、レスターなんか誰も知らねえだろ、と。レスターっていう街は面白かったからね、(実際に)行ってみて。何らかの形で知ってもらいたいと思って、その時には、普通に本書いてもいいし、ホームページなり何なりを作ってもいいんだけど、多分アイマスでやった方がある程度の数には見てもらえるだろうと

上げる前には教養講座もだけど、PVよりは主にノベマスや架空戦記ばかり見ていて。アイマスには「何でもあり」っていうイメージがあったんだよね。多分受け入れてくれるだろうとは思ってた。それなりには。あとは、レスポンスが見たい、どのくらいレスがあるんだろうって。それで、じゃあやってみるかと思ったのが始まり。

今はその対象が曲に変わっただけで、自分が好きな曲を知らない人に伝えたいのと、あとは知っていて好きな人はどう反応してくれるかな、っていう。特に他人に向けるモチベーションというとそれがまず先にあって、だから極端な話、色調をいつも暗めにしちゃうのは「アイドルを見せたい」というよりも「曲の雰囲気を出したい」のが主体だったからかな。最近はそうでもなくなってきたけど、夏頃から一番作っていた時期に最も重要視していたのは曲の雰囲気・印象。(他の)何人かの人もそう思って作っている人はいるだろうけど、どちらかといえば少数派じゃないかな。多分、明確にそう意識してやっている人は

朗読P:私の朗読シリーズの方では、あれはお話なのでアイドルにフォーカスするし、すごくそのアイドルの設定も使うし、考えも使うし。で、冒頭の一人称もそうですけど、彼女たちになったつもりで考えてみるところも大いにある。でも、PVの方だと、反動というわけではないのですが、そっちはもう曲ありきなんですよ

レスター伯P:それは何となくわかるな。いや、そもそも曲がああいった雰囲気だから表現もあのような方向に行くのかなというのがあるし。あと一つ目のPVのやつ(「Glim」のこと)は、メッセージ自体も気になったけど、あの映像の処理の仕方が最もひっかかったし、それに付随してあの曲でしょう。そっちの印象が強かったな

朗読Pアイドルが楽しく踊っているのを見せるというよりは、使っている曲の中に彼女たちを「凍結」するような感じなんですよ。なので、「Light」にあった「お人形さんみたい」っていうコメントは本当にその通りで

レスター伯P
:確かにねえ。電子音楽やアンビエントだと、なおさらそういう傾向が出るのかな

朗読P:そうですね。(そのような傾向が)見えやすいというのはあると思います

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次回は、「レスター伯Pのスタンス」より始まります。
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