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現実に右往左往しながら、ときどき動画を作る人の記録。

dbdbPと朗読Pがジョナサンに長居してお話したよ-(1)+おまけ

先週話したばかりだけど、今週もdbdbPと会ってお話したので、そのまとめ。今回は長いので、何回かに分けて続きます。今日は44AP(参考リンク:(a)タグ検索、(b)ニコニコ大百科の項目)から届いた質問について。

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dbdbPマイリスト:


朗読Pマイリスト:

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[ニコマス≒ニコニコ“映像”技術部?]

dbdbP:今日のネタは?

朗読P:えーと、まず44APからなんだけど、ニコニコ技術部(参考リンク:(a)タグ検索、(b)ニコニコ大百科の項目)ってあるじゃない、タグで。あのタグの中ではボカロに関連したところで挑戦している人が多いんだよ。ネギ振りはちゅね小さくしてみたりとか(参考リンク:はちゅねミク小型化戦争)。でもアイマス民はそれに比べると少ないのはなんでだろう、という質問が来てる。彼からの素朴な疑問だけど、これはちょっと答えるの難しいねw



dbdbP:たぶん素材の能力というか、強度みたいなものってアイマスはまあ元から、特に七夕(革命)以降では飛びぬけているものがあって。例えば、僕は東方とかほとんど知識がないんだけど、東方ってすごく手書きの文化だと僕の認識では思っていて

朗読P:確かに

dbdbP:でもあれっていうのは、言葉は悪いけど原作(ZUN氏)の絵が決して上手くはないからというところがその理由の一つだと思うのね。同人はそういうところの“隙間”を埋める文化だから、隙間のあるところこそ伸びていくというような。そうすると、じゃあアイマスの隙間って何だったかというと、基本的には「もっとPVが見たい」と。そこが伸びてきた感じがある。だから最初はPVがすごく流行して。今はノベマスや他のものの存在感もあるけれど。そういうニコマス民の中での「飢え」っていうか、需要と表現してしまうとお堅い言い方だけど、あくまでもゲームプレイの一環としての部分、ゲームの内側に向いていたみたいなところはおそらくあったんじゃないかな

朗読Pゲームの外側の、この現実まで拡張して何かをやる・達成する方向に向かなかったのは、その欲求が少なかったっていうことが理由だ、と?

dbdbP:まあなんだろうね、僕も今となってはニコマス以外の動画を積極的に見ているかと問われれば、お世辞にもニコマス自体見れていないのに、他の動画は当然もっと見れてないから、現状の技術部タグがどういう方向なのかというのは、具体的にはわからないんだけれども。ただその、一つの方向性として、ニコマスって「ニコニコ“映像”技術部」みたいな印象があるじゃない

朗読P:うん

dbdbP:だから、別にプライドとか誇りとかそういうものではないにしても、技術としてとらえるのなら、工学的にどうのというのではなくて、「映像技術なんだ、俺たちは」みたいな感覚なのかもしれないね

朗読P:ニコマスのPVというか、元々の(映像)キャプチャとかも含めてね、そういうものの扱いに関して実践してきたということが他のジャンルに比べると明らかに突出しているのは確かで、本当に映像寄りで歩んできて、「映像技術ならまかせろ」という役割やポジションを得たような経緯はあるよね

dbdbP:ニコマスっていうのは、そういったノウハウや知識の蓄積がすごくあって、それを伝達するシステムや構造も構築されているから、仮に初めてPVを作った人が上げた動画であっても、例えば画質一つ取ってみても、PCにあまり詳しくないような人が初挑戦してみた実況プレイ動画なんかの画質に比べれば雲泥の差だし。そういう意味で、ニコマスの内輪の中で、「この人の技術は謎だ」みたいな、技術を秘匿する文化ってあまりないような気がするんだよね。その雰囲気があるから、技術部というある種独立して開発・製作していくものを志向する感じではなかったということにプラスして、映像技術に関してハイレベルであるために、何かしらの技術を極めようとする人がもしいたとしても、工学的技術よりも映像技術の方に向かいがちなのかな、と。だって、映像技術は手に入りやすいし。ニコマスの中にいれば

朗読P:うーんと、頂点Pと底辺Pという言い方をするとなんだけど、例えばあまり映像技術を持ってない人が「ああ、この人の映像すごいな」って思ったときに、TwitterでもIRCでもいいけどそのすごい動画のPがいそうなところに行って、「これってどうやって作っているんですか?」と聞いたとしても、その全部ではないにしろコツを教えてくれそうな気はするんだよね。そういった技術交流がある程度積極的に行われている感じは、僕の感覚としてはある

dbdbP:聞いて何も教えてくれないPって、たぶんいないと思うし。そんなに。あと、今は違うかもしれないけど、技術の中でもそういった映像に関するものに興味を持つ人たちがニコマスに吸い寄せられたという一面も、もしかするとあるのかもしれないね

朗読P:44APが聞きたかった・想定していた話からはずれてしまった気がするけど、まあそこは勘弁してw、ということでw

---

なんか私としてはちと消化不良だったので、後ほど質問者の44APともう少しこの疑問について考えてみました。以下、そのときのSkypeのログを編集したものを載せておきます。

44AP:変な質問投げてゴメンねw そしてありがとう

朗読P:ういw 補足意見とかあれば載せますよ

44AP:補足って言うのは特にないかな。dbdbPが最初辺りで言ってた隙間が~とか需要が~のところはだいたい自分も思ってたところだしね

朗読P:ふむ

44AP:どちらかというとやはりdbdbPの意見はニコマス側から見た意見なのかなとは思った

朗読P:なんか技術部っぽくない技術の話になったしねw

44AP:自分はどちらかというとニコ技的な側面が強いんだけど、同じ機能を持つ物を作ったときに,それを表現するメディアとして、ボカロのキャラクターが強いのは何でかなーって言うのが最初の疑問だった

朗読P:なるほど。そこらへんは質問の意図をうまくくみとれてなかったなあ、ごめんなさい。表現媒体としての性質の違いを聞いてみたかったのね

44AP:気にしなくていいよw 別に、キャラクターに何かさせるならボカロじゃなくてもいいわけで、自分が好きなもの、自分の場合にはアイマスになるんだけど、どうやらニコ技の中では媒体としてボカロが強いという印象がある。ニコ技の人がアイマスに余り手を出さないのは何でかなって思っただけw 質問の仕方にも問題あるし、ましてや質問される側がニコ技よりじゃないしね

朗読P:面白い疑問だと思うけどな。ニコ技はもともとジャンル横断的な性格を有するはずなのに、偏りが出ている現状を考察するってのは

44AP:ニコ技の開発競争の始まりが「ネギ振ってみた」だったって言うのも大きな要因だとは思ってるんだけど、やっぱりアイマスをニコ技的に表現しようとすると、自由度が低いのかなとは思う。特に自分みたいな電子工作派の人にとってはね。ただ、統計取った訳じゃないからほんとのところは分からないけど、造形部門で見るとアイマスもそこまで少なくは無いんじゃないかなって思う

朗読P:もうある程度キャラクターとしての定型が確立されてしまっているニコマスの状況下では、そこからニコ技のように「外れた」カテゴリーで行うということへの魅力が、ニコマス内部からは生まれにくいだろうし、確かにニコ技側から見ればとっつきにくいのかもね

44AP:もしかすると、多くのニコ技の人にとって技術の表現としての順序が逆なのかもね。
こういう技術をみんなに見せたい⇒はちゅね(というキャラ付け)で行こう!
というのと
こういうキャラクターを作りたい・表現をしたい⇒この技術使おう、学ぼう
みたいな感じ?

朗読P:そ・れ・だ!

44AP:それで前者の順序で行く場合、ボカロのようなある種設定がフリーで、ニコニコ内での認知が高いからボカロになりやすいと

朗読P:対談内で話題に出てきた「隙間」の多さで比べたら、ボカロは圧倒的に多いからねー。性別や年齢の設定くらいしかない。はちゅねにいたっては、キャラの著しい改変事例だけどごく初期に登場してきたわけだし。まあただニコマスでも、例えばののワさんの登場は、大百科によると0711らしいから、今となっては初期と呼ばれる時代だろうけど。数ヶ月程度のずれはこういう場合、偶然や誤差のようなものかもしれないから、さっきの順序のところまでで止めておくくらいが理由の考察としてはちょうどいいかな

44AP:そうだねぇ。キャラクターを魅力的に見せるために映像技術がやたらと進化したニコマスと、技術表現として都合のいい(親しみやすい)媒体であるボカロを選んだ技術部ってところか
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dbdbPマイリスト:


朗読Pマイリスト:

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[ニコマス≒ニコニコ“映像”技術部?]

dbdbP:今日のネタは?

朗読P:えーと、まず44APからなんだけど、ニコニコ技術部(参考リンク:(a)タグ検索、(b)ニコニコ大百科の項目)ってあるじゃない、タグで。あのタグの中ではボカロに関連したところで挑戦している人が多いんだよ。ネギ振りはちゅね小さくしてみたりとか(参考リンク:はちゅねミク小型化戦争)。でもアイマス民はそれに比べると少ないのはなんでだろう、という質問が来てる。彼からの素朴な疑問だけど、これはちょっと答えるの難しいねw



dbdbP:たぶん素材の能力というか、強度みたいなものってアイマスはまあ元から、特に七夕(革命)以降では飛びぬけているものがあって。例えば、僕は東方とかほとんど知識がないんだけど、東方ってすごく手書きの文化だと僕の認識では思っていて

朗読P:確かに

dbdbP:でもあれっていうのは、言葉は悪いけど原作(ZUN氏)の絵が決して上手くはないからというところがその理由の一つだと思うのね。同人はそういうところの“隙間”を埋める文化だから、隙間のあるところこそ伸びていくというような。そうすると、じゃあアイマスの隙間って何だったかというと、基本的には「もっとPVが見たい」と。そこが伸びてきた感じがある。だから最初はPVがすごく流行して。今はノベマスや他のものの存在感もあるけれど。そういうニコマス民の中での「飢え」っていうか、需要と表現してしまうとお堅い言い方だけど、あくまでもゲームプレイの一環としての部分、ゲームの内側に向いていたみたいなところはおそらくあったんじゃないかな

朗読Pゲームの外側の、この現実まで拡張して何かをやる・達成する方向に向かなかったのは、その欲求が少なかったっていうことが理由だ、と?

dbdbP:まあなんだろうね、僕も今となってはニコマス以外の動画を積極的に見ているかと問われれば、お世辞にもニコマス自体見れていないのに、他の動画は当然もっと見れてないから、現状の技術部タグがどういう方向なのかというのは、具体的にはわからないんだけれども。ただその、一つの方向性として、ニコマスって「ニコニコ“映像”技術部」みたいな印象があるじゃない

朗読P:うん

dbdbP:だから、別にプライドとか誇りとかそういうものではないにしても、技術としてとらえるのなら、工学的にどうのというのではなくて、「映像技術なんだ、俺たちは」みたいな感覚なのかもしれないね

朗読P:ニコマスのPVというか、元々の(映像)キャプチャとかも含めてね、そういうものの扱いに関して実践してきたということが他のジャンルに比べると明らかに突出しているのは確かで、本当に映像寄りで歩んできて、「映像技術ならまかせろ」という役割やポジションを得たような経緯はあるよね

dbdbP:ニコマスっていうのは、そういったノウハウや知識の蓄積がすごくあって、それを伝達するシステムや構造も構築されているから、仮に初めてPVを作った人が上げた動画であっても、例えば画質一つ取ってみても、PCにあまり詳しくないような人が初挑戦してみた実況プレイ動画なんかの画質に比べれば雲泥の差だし。そういう意味で、ニコマスの内輪の中で、「この人の技術は謎だ」みたいな、技術を秘匿する文化ってあまりないような気がするんだよね。その雰囲気があるから、技術部というある種独立して開発・製作していくものを志向する感じではなかったということにプラスして、映像技術に関してハイレベルであるために、何かしらの技術を極めようとする人がもしいたとしても、工学的技術よりも映像技術の方に向かいがちなのかな、と。だって、映像技術は手に入りやすいし。ニコマスの中にいれば

朗読P:うーんと、頂点Pと底辺Pという言い方をするとなんだけど、例えばあまり映像技術を持ってない人が「ああ、この人の映像すごいな」って思ったときに、TwitterでもIRCでもいいけどそのすごい動画のPがいそうなところに行って、「これってどうやって作っているんですか?」と聞いたとしても、その全部ではないにしろコツを教えてくれそうな気はするんだよね。そういった技術交流がある程度積極的に行われている感じは、僕の感覚としてはある

dbdbP:聞いて何も教えてくれないPって、たぶんいないと思うし。そんなに。あと、今は違うかもしれないけど、技術の中でもそういった映像に関するものに興味を持つ人たちがニコマスに吸い寄せられたという一面も、もしかするとあるのかもしれないね

朗読P:44APが聞きたかった・想定していた話からはずれてしまった気がするけど、まあそこは勘弁してw、ということでw

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なんか私としてはちと消化不良だったので、後ほど質問者の44APともう少しこの疑問について考えてみました。以下、そのときのSkypeのログを編集したものを載せておきます。

44AP:変な質問投げてゴメンねw そしてありがとう

朗読P:ういw 補足意見とかあれば載せますよ

44AP:補足って言うのは特にないかな。dbdbPが最初辺りで言ってた隙間が~とか需要が~のところはだいたい自分も思ってたところだしね

朗読P:ふむ

44AP:どちらかというとやはりdbdbPの意見はニコマス側から見た意見なのかなとは思った

朗読P:なんか技術部っぽくない技術の話になったしねw

44AP:自分はどちらかというとニコ技的な側面が強いんだけど、同じ機能を持つ物を作ったときに,それを表現するメディアとして、ボカロのキャラクターが強いのは何でかなーって言うのが最初の疑問だった

朗読P:なるほど。そこらへんは質問の意図をうまくくみとれてなかったなあ、ごめんなさい。表現媒体としての性質の違いを聞いてみたかったのね

44AP:気にしなくていいよw 別に、キャラクターに何かさせるならボカロじゃなくてもいいわけで、自分が好きなもの、自分の場合にはアイマスになるんだけど、どうやらニコ技の中では媒体としてボカロが強いという印象がある。ニコ技の人がアイマスに余り手を出さないのは何でかなって思っただけw 質問の仕方にも問題あるし、ましてや質問される側がニコ技よりじゃないしね

朗読P:面白い疑問だと思うけどな。ニコ技はもともとジャンル横断的な性格を有するはずなのに、偏りが出ている現状を考察するってのは

44AP:ニコ技の開発競争の始まりが「ネギ振ってみた」だったって言うのも大きな要因だとは思ってるんだけど、やっぱりアイマスをニコ技的に表現しようとすると、自由度が低いのかなとは思う。特に自分みたいな電子工作派の人にとってはね。ただ、統計取った訳じゃないからほんとのところは分からないけど、造形部門で見るとアイマスもそこまで少なくは無いんじゃないかなって思う

朗読P:もうある程度キャラクターとしての定型が確立されてしまっているニコマスの状況下では、そこからニコ技のように「外れた」カテゴリーで行うということへの魅力が、ニコマス内部からは生まれにくいだろうし、確かにニコ技側から見ればとっつきにくいのかもね

44AP:もしかすると、多くのニコ技の人にとって技術の表現としての順序が逆なのかもね。
こういう技術をみんなに見せたい⇒はちゅね(というキャラ付け)で行こう!
というのと
こういうキャラクターを作りたい・表現をしたい⇒この技術使おう、学ぼう
みたいな感じ?

朗読P:そ・れ・だ!

44AP:それで前者の順序で行く場合、ボカロのようなある種設定がフリーで、ニコニコ内での認知が高いからボカロになりやすいと

朗読P:対談内で話題に出てきた「隙間」の多さで比べたら、ボカロは圧倒的に多いからねー。性別や年齢の設定くらいしかない。はちゅねにいたっては、キャラの著しい改変事例だけどごく初期に登場してきたわけだし。まあただニコマスでも、例えばののワさんの登場は、大百科によると0711らしいから、今となっては初期と呼ばれる時代だろうけど。数ヶ月程度のずれはこういう場合、偶然や誤差のようなものかもしれないから、さっきの順序のところまでで止めておくくらいが理由の考察としてはちょうどいいかな

44AP:そうだねぇ。キャラクターを魅力的に見せるために映像技術がやたらと進化したニコマスと、技術表現として都合のいい(親しみやすい)媒体であるボカロを選んだ技術部ってところか
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