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現実に右往左往しながら、ときどき動画を作る人の記録。

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誰も得をしない話

pixivから波及した水着マフラーの流行が、ニコマスの一部で局地的なパンデミックを引き起こす中、その魅力の根源に迫る無駄話秀逸な記事をdbdbPが書いてくれました。

さて、水着マフラーに関してはそちらの記事で十分に、そして入念に考察がなされていますので、こちらの記事では

アストロガールマフラー

について、その背景にあるものを考えてみたいと思います。
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前述の記事で語られている通り、マフラーは、冬の寒さをしのぐために私たちが身につける非常にありふれた防寒具であり、日常的なものです。さまざまな糸で編まれたその細長い布は、ピンと固まった冷気が私たちの首を刺さないように優しく包み込んでくれます。またそれがもたらす暖かさは、私たちが自己の内に確かな熱を持つ生き物であるということ、今自分が生きているということを認識させます。つまりマフラーは、「寒さを防ぐために首に何かを巻く」という当たり前の目的と行動を通して、私たちに生命として活動している実感を抱かせ、その存在を肯定する一つの鍵なのです。

一方、宇宙服は私たちの日常には登場しません。テレビやネットのニュースで画面越しにそれを見ることはできても、直接それを手にして身に着けるのは、専門の訓練を受けた、ごく限られた人々です。重く厚いその服は、私たちが普段のように生活しようとする際には、それを邪魔するただの障害にしかなりえません。

しかし、私たちは弱い生き物です。この地の上に立って過ごす日々ですら、暑さを避け寒さを防ぐために、衣服だけでなく、エアコンなどの機器に頼って快適な空間を次々に作り出してきました。宇宙ではこの傾向がさらに強まります。あまりに広大で、茫漠としたその場所には、すでに大気による保護は無く、むき出しの放射線や太陽光はそれだけで私たちを容易に死に至らしめます。そうした中に、われわれが自分たちの存在を持ち込むために作り出した殻。それが宇宙服です。宇宙服は、自身も非日常に属すものでありながら、冷徹な宇宙空間というさらなる非日常が私たちの生命活動という「日常」を殺さないように防ぐのです。

ここで想像してみてください。果ての無い漆黒の暗闇を漂う宇宙飛行士のことを。そして、彼らを日常につなぎとめているもののことを。宇宙服もまた、生の実感を抱かせ、世界の中に自分の居場所を作り出す鍵となっています。

すなわちマフラーと宇宙服、この二つはそれぞれ日常と非日常という対極にありながら、「生の肯定」というその本質において同義であり、等価なのです。そして、これが最高の形で具象化したものが「アストロガールマフラー」です。非日常からできた宇宙服という殻の上にそっと巻かれたマフラーは、この非日常と日常とが実は密接に関わっているということを、かくも鮮やかに私たちに示します。それは無言でありながら、魂の奥に響く生の讃歌に他なりません。

以上のように、水着マフラーが人間の内面の二面性を象徴するのに対して、アストロガールマフラーはこの宇宙や世界という外面から見た私たちの存在の二面性を象徴しているのです。
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