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現実に右往左往しながら、ときどき動画を作る人の記録。

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Liner Note-mv13(sm12278695)



アイドルマスター2では彼女たちをプロデュースすることができない、という、今のところそう簡単には覆りそうもない現実。それはかなしいことです。

ああ、彼女たちは行ってしまった。
前のステージはからっぽだ。
誰もいない。

そう考えた人がいるとします。
ずっと空っぽのステージをぼんやりと見ているとします。
「昔はよかった」とかため息混じりに言いそうな顔をしているとします。

私のことです。

一方で、そういう人を励ましたい人がいるとします。
つらいけど、苦しいけど、
またやり直してみませんか。
そう言いたそうな顔をしているとします。

私のことです。

この動画は、外へのメッセージの形をとってはいますが、実質は「私」が「私」へ向けた動画です。

ですから、「おしつけがましい」「空虚なセリフを言わせるな」との動画内のコメントは、はい、おっしゃるとおりです。彼女たちの姿をしてはいますが、その中には私もいるからです。彼女たちの面をつけた、「誰かを励ましたい私」がいるからです。と同時に、「誰かに励まされたい私」も観客席にいます。そのため、私以外の誰かが観客席についたとき、反発を覚える場合があるのも無理からぬことと思います。


作風の割に、私は自分の考えを文章で表現することが苦手です。
あの日の後、ブログやTwitterで何か書こうとしてもうまく書けなくて、でも何か言わずにはいられなかった結果がこの動画です。
動画を作る側の私が「こうだ」と言っていても、見ている側の私が「いや、それはこっちだ」と言っている、鈍く痛むささくれのような食い違いや苦さがこの動画には入っています。「さ、行こうか」と「無責任なことを言うな」のポジ/ネガがどちらも捨てがたく、そして等しく私の感情だということも知っています

その揺れ動く気持ちを動画にしてみたら、こうなりました。
次のステージで彼女たちが歌う姿を見た後も、「私」はまた空のステージへ戻ってきてしまいます。
迷っています。フラフラしています。

ですが、そこでこう考えてみるのはどうでしょう。
これが、「始まる前の」ステージだとしたら。
明るいライトが点き、歓声が響く前のステージだとしたら。
華やかな舞台の少し前にいるだけだと考えてみたら。
歌詞にある「二度目のチャンス」は、そういうものじゃないかと私は思っています。


私はアイマスが好きで、ニコマスも好きです。
そしてそれらを好きだという人たちが好きです。

それは、意地汚くずるい偽善であるかもしれません。
しかしそう思うときがあっても、私はまだ好きであることをやめられません。


その一つの決意表明として。
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