忍者ブログ
現実に右往左往しながら、ときどき動画を作る人の記録。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

レスター伯Pと朗読Pが好きなことを好きなように話してみた (2)

この前の記事の続きです。対談開始後、15~60分のあたりの会話を基にしています。

---

レスター伯Pマイリスト:




---

朗読Pマイリスト:

---

[レスター伯Pのスタンス]

レスター伯P:僕が作っているロックとかは、そうではないから。殻とか枠を破っていく音楽だからね。元々は。



実際、Blurの「Song2」なんて曲は、ブリットポップ(参考URL)っていうムーブメントがあって、その当事者、まさに中心にいたBlur(参考URL)が、音楽的にはブリットポップではない、アメリカのオルタナに寄っていって、そのアメリカでも売れた初めての曲なんだよね。そして、本人もあのアルバムをもって「ブリットポップは死んだ」と言っている。そういう曲だから、完全に殻を破るもの。



で、あと「Rock'n' Roll Star」は、Oasis(参考URL)のデビュー曲ではないけど、でもデビューアルバムの一曲目に入れた「宣言」みたいな曲で。ロックスターじゃないけど、ロックスターになるんだという表現がね、自分がロックスターじゃないから、なお好きなんだよな。



その次に作った、ASH(参考URL)の「Burn Baby Burn」は、超シニカル(cynical, 冷笑的な・ひねくれた・皮肉な)な曲で曲調はすごくポップで明るいんだけど、歌詞を見れば一目瞭然で、冷めてるというかイギリスならではのシニカルさを感じる曲だね。

(制作時にも)そこに込められた雰囲気や思いがやっぱり先にあって、それをアイドルで表現するとどうなるか、アイドルという素材を使って表現したらどうなるかと考えてた。アイドルが好きだから使うのもあるけど、だから、(自分が表現として用いる彼女たちは)お人形みたいではないね。

何だろうな、例えば最近のロックアーティストのミュージッククリップにアイドルが出演している、みたいなイメージで作っている。それで、最近ちょっと思うのは口パク合わせるのやめようかな、って。で、サビの一番盛り上がるところは本物のミュージッククリップを持ってきて、そのアーティストに歌ってもらうと。その裏で、どういう演出にするかはまだ迷っているけど、アイドルが踊るなりして、全然違う形にする。ニコマスにはまだ、そういうのが少ない。歌うのはミュージシャンで、それに合わせて映像として踊らせているのは。それをやってみたいなと思うのがちょっとある。おそらく作るのは当分先だけどw

だから逆に、「そこまで明確に意識していながら、なぜニコマスで?」と言われたら、多分ニコマスでやる必要性は薄いという気はする。けれども、要はミュージックビデオを作る監督が、そのアイドルのことが好きで入れ込みすぎて、「あの子を使いたいんだ」という感じなんだよw 完全にそういうスタンス。そこまでやっている人っていないよなあと。あえて挙げるとすれば、わかむらPあたり?

朗読P:わかむらPはブログで自身の立ち位置を明確に表明していますね(参考URL

レスター伯P僕は、あの人ほど「クリエイター」としてではなくて、「ファン」として、なんだけどね。「大学の文化祭のライブに出てもらいたんだ」とか、「自主制作の映画に出演してほしい」というような

朗読P:ロックンロールが、殻や壁を槌で壊していく音楽なら、アンビエントは対象を布でくるんでいく感じなんですよ。段々それを厚くして、覆っていくという

レスター伯P:ミニマルは特にそんな感じだよね

朗読P:あれは極端に音を絞ってありますからね。とりわけ、環境音に焦点を当てた曲では顕著です。私は元々そういう音楽が好きだということもあって、制作に至りました

レスター伯P:僕もPVで本当に最初のやつはスタンスが(今と)微妙に違っていて。あれは半分ギャグだったんだけど、Syrup16g(参考URL)の「my song」という曲があって、普段のニコマスで「my song」といったら、あの曲だけど、自分にとってはこれだと思っていたからね。

どこかのラジオの掲示板にお邪魔したときに、「おすすめの曲は何かありますか」という流れになったんだけど、そのときに貼られたYouTubeなりニコニコの動画をみんなで見て感想を述べているうちに、「こんな曲あるよ」ってそれを紹介したら、「じゃあ今度PV作ってくださいよ」って言われちゃってw

初めは曲をカットするっていう発想がなかったものだから、5分40秒くらいあるものを「さて、どうしたものか」と思って困ったなあw そのときは「my song」は春香さんが歌うものだと思ってたし、春香さんが好きだったからね、とにかくそれしか頭になくて。今振り返ってみると、どちらかというとあれはストーリー系になるのかなあ。

表現については、当時はPVの作り方というか、見せ方を(PV系の作品を見ていなかったものだから)全然知らなくて。ただ自分なりにダンスを合わせるということでいっぱいいっぱいだったかな。BPMは一応計ったけど、すごく遅いから普通に合わせるのは無理だし。曲の世界観の中で春香さんをどう見せるかを考えていたなあ。あれはいつか今の自分の表現でリメイクしたいと思ってる。まあそんなわけで、一番最初のものはそれ以降のものとは違うんだよね

---

[レスター伯Pの変遷とコミュニケーション]

レスター伯P:その次のハルカニに出した「かみちゅ!」のやつは、これとは真逆で、「かわいい春香さん」を見せたいという方が目的で、だからこそかわいい曲で作ろうと。かみちゅ!はすごく好きな作品だし、エンディングテーマも気に入っていたから。



調べたけど、まだ誰にも使われていないし、「よしよしw」って思ってたら、運営に使用曲を連絡した次の日に迷漏会計Pのやつが来ちゃったんだよw



朗読P:wwww

レスター伯P:あれはロリトリオだったかな、確か。「うわあ、来ちゃったよ。しかもフルで」とか思ったなあ。その後、自分のPVの公開日が8月8日という話を聞いて、2週目の方だな(【注】HaRuKarnival'09は8月1日と8日に開催された)と思ってたら、8月1日につかさPがオールスター出すし。「もうなんなのw」と。でも、PVはあれで自分のやり方みたいなものをつかめた。



その頃以降で自分を知った人は、(自分のことを)「PV作る人」って認識している人が多いと思う。それよりちょっと前の時期になると「生放送をやっている人」で、さらに戻ると「教養講座をすごくたくさん作っていた人」になるかな。ノベマスではなく、教養講座が2009年に入ってからあまり上がってこない中で、だいたい2日に1回は上げていたからね。何人かのPとはそれで知り合いになったなあ。IRCの教養講座チャンネルにも行ったりして。

当時イギリスにいたっていうのも多少影響しているとは思う。「イギリスにいる」っていう状況は、ある程度注目を集めるのに使いたいと思っていて。再生数は一番ではないけれど気にするし、見てもらえるなら多いに越したことはないし。ただ、英P(参考URL)がいたから、イギリスというとあの人のイメージだったんだよね。でも、ニコマスPとしては初めてだったのかな。それで英国紳士とか伯爵っていう呼び名が完全に定着して、今となってはキャラもついたなあ。良い言い方ではないけれど、(自分の作品の)再生数の伸びがちょっとだけいいのは、だいたい知名度のおかげだと思う

朗読P作品単体の力というよりは人と人との繋がりでのバイアスが大きいと

レスター伯P:自分が属しているコミュニティやIRCの生放送チャンネルのような場所で知り合ったPというのがどんどん増えていって、いろいろなことをやるようになってきたから、「ニコマスの中にいるな」と一番感じるのは、そういう人たちの輪の中にいるときなんだよね。輪を拡げるのが好きなんだろうな

一方では、もうちょっと閉じたコミュニティでやっている人もいるしね。主にSkype側では、そういうコミュニティのでき方も少し閉鎖的だと思うし。IRCも枠に入るまでの間に敷居があったり、古くからいる人と新しく入ってきた人でのギャップもあったりするから、閉鎖的っちゃあ閉鎖的なんだけど、今は少し変わったかな。

個人的には、ある程度閉じているけど、その中ではすごく自由な空気というかそういうノリが好きでやってる。そもそもアイマスにここまではまった理由にしたって、「コミュニティが面白い」というのがあるからね。だから、いろいろなところに首を突っ込んだり節操なく顔を出してね、知り合いを増やそうとする

朗読P:IRCは行かないんだよなあ

レスター伯P:独特だから?

朗読P:IRCの空気というか、(自分は)面倒くさがりでね。入室・退室の挨拶?だとか。必須じゃないとは思うけど、なんかね、肌に合わない。

あと、自分にとってのニコマスコミュニティの付き合い方というのは、基本的にTwitterの距離感なんだよね。Twitterでときどき面白い発言を拾ったりからかい合ったりするくらいの

それ以上に輪を拡げたければ、IRCよりはむしろ大規模なオフ会とかで直接会って、名刺交換なんかして、それでフォローが返ってきたらよろしくお願いします、という感じ。あんまり自分で増やそうと強く意識することはない

レスター伯P:僕がコミュニケーションを求めて繋がりを拡げようとするのは、繰り返しになるけど、イギリスにいたっていうのがすごく大きいと思う。

Pになった頃は論文書く時期になってたし、資料集めにいろんなところ行ったりとか、授業だとかそういうことがなくなってきて、一人で作業する段階になってくると単純に寂しくなるしね。

で、IRCは(日本時間で)午後10時~翌3時くらいが一番にぎやかなんだけど、ちょうどイギリスでは自分が最も勉強する時間だったから。つまり、机の上に書類やら本やらを積み上げて勉強したり、ノートをとったりしつつ、IRCのクライアントもつけて面白い発言を眺めるのに適した時間だったってことでね。

その環境がとにかく楽しかったのと、自分がマイナージャンルである教養講座で始めているから、知り合いなんて少ないし、元々は教養講座チャンネルに行くためにIRCを始めたんだよね。教養講座チャンネルはね、いても5人とかなんだよ。最初はそれと、あと春香ファンの集いに行ってて、それからしばらくして同期Pのチャンネルもできたからそれにも行くようになった。

それがあるとき、木曜洋画劇場PがデビューPをいじるような企画で、「アイマス生放送へどうぞ」というのを見て行ってみるとものすごく人がいて。常時100人くらいいるんじゃないかな。そして、最大規模のニコニコアイマスPの集いよりも行動的。常に誰かいて、誰かが書いていて、すぐに反応も返ってくる。入ったのは4月頃だけど、今よりも活発だったな。Pも、見る専の人も、生主さんもいて、みんなそこでは平等に振舞える。英Pともそこで出会って、オフ会する話になったりとか

朗読P:ロンドンオフだっけ?

レスター伯P:そうそう。で、そのチャンネルに行ったことで、いっきに知り合いが増えた。みそ一門のような派生にも行ったし。確かふぃるPはそのどちらかで初めて会ったんだと思う。そうして過ごしていたら、いつの間にか英Pとセットでイギリスの人、ってことになって。英Pは英P、自分は伯爵とか呼ばれてキャラが定着したと。

生放送については、ロンドンオフのときに英Pがアイマスのライブ映像特集をモバイルノートで配信しているのを隣から見て、「生放送って、けっこう簡単にできるもんだな」と思い、回線が遅いからできるかどうかわからないけど、ものは試しでやってみようとなったのが始まり

初期は同期のPとやってたんだけど、色んな経緯があってパンゲってコミュニティを作って、もう自分たちが好きな動画をひたすら流していこうという方針で。「演奏してみた」が好きな人、「擬似m@s」が好きな人、リミックスやマッシュアップが好きな人、と色んな人がいたから、じゃあもうそういうカオスな配信にしようよ、ってことで初めは内輪でやってたの。15人くらい見に来てくれたかな。朝の5時、イギリス時間では前の日の夜10時くらいに流してたから。でもまあ、リクエストくれるのは知ってる同期P3, 4人ってとこだったと思う。

そのうち「変な動画ばかり流すコミュニティがあるらしい」と生放送界隈で噂になってねw で、気がついてみると「パンゲ」という小さな世界が一つできていたような。それから総合のリク放送もやったりしたんだけど、総合なのにパンゲ的リクエストしか来なかったりしたときもあったw

その頃は、動画を作るのがちょっと嫌になっていた時期で、紙芝居に自分の中で限界を感じていた「動画」としてうまく見せられないというのをどうしようか模索していて、それで代わりというわけではないけど、生放送をとにかくいっぱいやっていたら、生主としてそれなりには知られるようになったなあ。

で、後にPVを作るようになっていくわけだけど、そこに至る過程というか道のりにはやっぱりIRCの影響があったからね。自分がニコマスにいられる、いようと思う最大の理由にはなっているんだと思う

TwitterはそのくらいIRCへの思い入れが強くなった頃に始めたものだから、入るのが遅かったんだよね。今はどちらかというと、Twitterの方がメインの発言場所になっているし、気楽でいいと思うけれど、一方のIRCの空気も忘れず残っている感じ。Twitterにしかない文法、IRCにしかない文法、そのどちらも自分にとっては代えがたい。

あとはねえ、多分僕はサークル活動にあこがれているのかな。大学時代は野球部だったんだけど、野球部はサークルとは違うし三回生に上がるときに辞めているから。それと、最初に入学したときと学部を変えたこともあって、大学の中で自分が帰れる小さなコミュニティというのが研究室以外になかったんだよね。

そうなると、「帰る場所がすごく欲しい」というのがどこか潜在的にあったIRCはそれをちょうど満たしたというか、もう少し拡げればニコマスがそういう空間だったおそらく将来、「ああいうことをやってたんだな」と思う証が欲しいんだよ。単純にね、映像として興味があるし、アイマスが好きだってこともあるけれど、それと同時に、その(コミュニケーションを伴う)世界が好きで、その中にある、自分がいるコミュニティに対しての憧れがすごくあるんだなあ。

欲張りだし、寂しがり屋だし、だから逆に言うとお祭りも好きだし。あと、おまけだけど「はじめまして」弾幕は嫌いじゃないよw

朗読P:そうだなあ、ないわけじゃないんだけど、自分がIRCに入らない原因のおそらく一位は、コミュニケーションに対する欲求がレスター伯Pほどないというのがあるかな。その割には、頻繁にオフ会に行っているような気もするけどw

単に、手段の違いかもしれないね。まあ、ただ根底にあるのは「話したいときにだけ話すよ」というものだと思う。「常駐していてもなあ」みたいな

レスター伯P:それなら、確かにTwitterの方が向くだろうね。いつ食らいついてもいいし、別に流してもいいし。IRCでは双方向性がもうちょっと強い。要は、同じテーブルの周りにみんながいるのがIRCで、Twitterもチャットのように使えるけど、あれは掲示板と一緒で見ているだけでも全然構わないタイプのものだから

朗読P:そのTwitterも、勉強するようなときには(クライアントを)開けないな。フォロワーが増えてきて、もう新着を全部追うような量ではなくなったんだけど、Tweenで新着の表示がぱっと出るたびに気になってしまうんだよね。何となく作業を止めちゃう

レスター伯P:それは僕も同じだよw 本当に集中したいときは切る

朗読P:だからTwitterですら、今では暇なときにつけるくらいの間隔になってきてる

レスター伯P:暇をつぶすにはすごく適しているからなあw Twitterを始めて面白いなあ、と思ったのはIRC以上に全然知らない人とつながりができていくところだね。あれはすごいと思う

朗読P自分は元々濃すぎるのが嫌いだったから、mixiとかのアカウントは持ってなかった。で、(コミュニケーションサービスとして)最初にTwitterを始めてしまったから、その文法というかTwitter的なお付き合いの仕方・世界に慣れてしまったために、歴史的にはずっと先行しているIRCを「慣れない」と感じてしまう

レスター伯P:mixiはやっていたけど、そのアカウントは(ニコマスではない)内輪のコミュニティをネット上に転写した感じになってたから、同窓会のようなものと、あとは日常とかで実際に会っている人とネットでもやりとりするくらいだった。

ただそんなにmixiは好きじゃなくて、便利だと思っていた時期は日記を書いたりしたけど、それより自分の(オープンな)ブログに書いた方がずっと多くの人に見てもらえるんだよね。実はいまだにニコマスブログより、そっちのブログの方がアクセス数は多い。ニコマスブログで、書いたエントリがピックアップされたときは伸びるけど、平均で見る限りニコマスじゃない方が伸びてる。

当時は小説のレビューをかなり精力的に書いていて、それ経由で知り合った人も何人かいる。ネットには、それこそHTMLを打ってページを作り、テキストサイトが全盛期の時代からどっぷりはまっていて。自分もホームページを作ったけど、それがブログになってとてもお手軽になったじゃない。で、ブログにもTwitterやIRCとは違う文法があって、自分の世界というか何か持っているものを書かなきゃいけないと個人的には思ってる。

そして一方通行で投げかけるんだけど、コメントはつけようと思えば簡単につけられるし。ニコマスのPVはそうしたブログの文法で作っている。対象としてはもっと狭いけど、感覚的にはブログにエントリを投げてそれにコメントがつくような感じ。だから、コメント数よりは再生数が気になる。ちょっとだけでもいいから、「触れてくれた」って意味でね。

コメントは作品によってしやすさがあると思うし、自分の作品もコメントしやすいように作ってないから。基本的には無責任。投げかけるけど、相手からどうこうというのは求めない。ただ反応をくれるとそれは嬉しいよ。そのあたりはニコニコの文法に初めからなじんでいる人から見ると、ずいぶん違うと思う。

ニコニコも元は、アニメMADを見るとかコメント文化とかそういうものではなくて、アニメ(の録画されたもの)を見るためとラジオを聴くためのツールだと思ってたし。YouTubeだとラジオは(カットなしでは)上げられないんだよね

朗読P:時間制限(【注】:最大10分)があるからね

レスター伯P:ニコニコほどアニラジのライブラリが充実しているサイトが他になかったというのもあるw (アニメ本編と比較して)ラジオはなかなか消されないし

朗読P私がニコニコに入ったのはボカロからで、その黎明期からいる。そうすると、コメントはあって当たり前のところにずっといることになるから、自分(のベース)はニコニコの文法なんだよね。

ただ、見る側としてはニコニコの作法というか様式が組み込まれた中でやってるけど、作ったPVとかはコメントを許さないような構成だと思うんだよねw すごくしにくいと思うの、あれはw

ところで、自分のPCの始まりは小学4年生くらいの頃だから、学校のPCに入っていたのはMS-DOSとWindows 3.1。インターネットは、モデムを使ってダイヤルアップで接続するときの音(【注】:電話の発信音とは似ても似つかぬノイズのような音だった)を真似できるくらいの、ある意味デジタルネイティブになり始めた世代にいて。

で、中学生の頃には(ホームページを作るとき)先生が買ってくれたビルダーがあったけど、あれで作るとソースに「これはホームページビルダーで作りました」というようなコメントが入るじゃない。あれが許せなくて、「全部手打ちで整形した方がきれいだろ」とやってる奴だったから。

だから、お話にコメントが欲しいというのはニコニコの文法に基づくものだけど、PVの方はどちらかというと(自分が)濃い内容のテキストサイトを運営していて、その内容にものすごく興味がある人がメールを送ってきてくれるくらいのギャップ・(壁の)高さを要求する感じかな

レスター伯P:わかるわかるw テキストサイトの管理人さんって、メールの数を気にしている人が今でもいるものw

朗読P:直近3作はだいたいそんな感じ。濃い人からコメントが来るといいなという

レスター伯P僕も今一番嬉しいのは、コメントもそうだけど、ブログでのピックアップだなあ

朗読P:あれは嬉しいよねw

レスター伯P:だから、みてれぅで最もよく見るのは紹介・感想を述べてくれたブログが何件なのかなってところ

朗読P「Review」の数字ねw

レスター伯P:そうそう。それがね、本当に嬉しい。圧倒的に。あれが今では、当時の「メール」にあたるんじゃないかなあ。当時はみんながみんなホームページを作れるわけじゃなかったし、見る人と作る人が違っていたけど、今はもう見る人もメール送るくらいならブログに書いちゃう

朗読P:そういえば、作ったもののライナーノートは、作品上げてしばらくしたらブログに書いているんだけど、実際あれを書く大きな動機は後から気づくことが多いからなんだよね。製作中に見えていないようなものについて。

「0:54」なんかは見えているカット自身に意味はないんだよ。意味ないんだけど、あれを見た人は意味を考えるのかなあ、ってね。ライナーノートの作業は意味を与えるのとは少し違うけど、自分の中でそのカットを再度口に入れて、よく噛んで味を確かめるのに似てる

本当は楽しいPVも作りたいんだけど、ついつい重く見えるものができあがりがちだから、爽快Pの「Mambo No.5」みたいに見ているだけでただ良いよね、気持ちいいよね、という作品には憧れる。あとは、問いかけではなくて全肯定しちゃうやつとかね、「ニコマスいいじゃない」と誰のあらゆる要素にもYesと答えるくらいの超楽天的なものも作ってみたい



---

次回は、「選曲とヒット」から始まります。
PR