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現実に右往左往しながら、ときどき動画を作る人の記録。

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余白の話

PV系の動画や手描き系の動画にそれぞれ展開の緩急があるように、物語にも「余白」というものがある。

思いついたときに、さっと取り出した紙とペン。開いたテキストエディタ。いや、そもそもプロットすら書かずに、いきなり編集ソフトを起動して作成にとりかかる人もいるかもしれない。しかし、いずれにしろ最初は何も書かれていない。まっさらだ。そこに文章を付け足していく。書いて、消して、書いて、消して、書く。

そうしていると、何も無かったところが段々と埋まってくる。何も無いところが、削られていく。

やがてある程度形になっても、心の内では「もっと埋めたい」・「もっと書きたい」と思うことがある。だが、私はそこでいったん手を止める。一歩後ろに下がって、もう一度読んでみる。すると思いのほか、紙が、テキストエディタが、編集ソフトのタイムラインが、きゅうくつである。どこか、落ち着きがない。

「余白」が、少ないのだ。

説明のしすぎ・設定の書きすぎ・まわりくどすぎる言い方…
余白が少ない原因はそのときによって異なるが、これでは見る人が自分の思い浮かべたことを綴れる場所がなくなってしまう。見ている間、私の書いた言葉だけでその人たちの余白が埋まってしまう。

これはいけない。

だから、その後私は言葉を削る。削って、消して、余白を作る。

こんなやり方をしているものだから、私の一連のシリーズは他の人たちが作ったノベマスに比べると、文章量が少ない。そして、良く言えば「淡い物語」だが、悪く言えば「どこか盛り上がりに欠ける話」になる。


しかし、その話を私以外に好きだと言ってくれる人たちがいる。幸せなことである。

寄せられたコメントを、私は自分の中の余白に書き足す。私が書いた言葉と、彼らが書いた言葉で余白はなくなり、一つのまとまりが生まれる。

これで、その作品はようやく完成となる。自分で作っただけでは、まだ未完成なのだ。
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Liner Note-05(sm7601124)



このシリーズとしてはちょうど2ヶ月ぶりかな。6月は上げなかったし。

はい。

ということで今回も毎度おなじみ、柏城Pに挿絵を描いていただきました。ありがとうございました。回を追うごとに依頼内容の難易度が上がっていくような気がしますが、多分気のせいですね(^q^)

さて、この記事はアイドルマスター 「彼女と、彼女たちの時間」(美希)の解説のようなものです。中身等についての詳細は、「続きを読む」からどうぞ。

数の話

数と名が付くもの。

再生数、コメント数、マイリスト数。

そして、「伸びる」・「伸びない」という表現は、そこら中に出てくる。タグ、ブログの感想、コメント。


なぜだろう。最近、そういった言葉を見るときに、何となく胃の辺りがもたれるような感じがする。いやもしかしたら、以前から少しずつ積もってきた小さな小さな違和感が、ここに来て現れたのかもしれない。再生数が、コメント数が、マイリスト数が、伸びたいと願うことは別にいい。そう願うのは、その人の勝手だ。でも、この胸のつかえは何なのだろう。喉が乾き、うまく声が出ないようなこの状態は。

目標はあったはずだ。

・再生数:特になし
・コメント数:多いと嬉しい
・マイリスト数:2以上

これが、私の厳然たる目標のはずだ。少なくとも自分以外の誰か一人がどこかで共感してくれればそれでいい。私にとっては、最後の一点だけ達成できれば、あとはごほうびのようなものである。だからこの基準で考えると、今の私はすでに十分評価を受けているともいえる。ありがたい限りだ。

振り返って現状。ルサンチマンとは違う。そこまで激しい嫉妬や憤りは全く無い。むしろ、心のうちは氷のごとく冷えている。それゆえ、もったいないと思いつつも、ここしばらくは動画のコメントを消して見ていたり、Twitterに行かなかったりする。一種の倦怠期のような気もするが、元々渇望に乏しい自分のことだ。そうした空気を避けたがる癖が、いつの間にか染み付いていたのかもしれない。

ただ一つだけ、今の自分に釘を刺しておかなければならないことがあるとすれば、これらの数が欲しいがために何かを作ろうとするなということだろう。そういうことを楽しみながらできるほど私は自分を図々しくできないし、そうした自分を許すこともできない。もしそんな思考で心が埋まることがあれば、その時は去らねばなるまい。

いつぞやの「伸びろ」の歌は、これに対する反面教師なのだ。

個性の話

様々な作品がある。ゲーム内の映像を使ったPV風のもの、手描きのもの、ノベマスや架空戦記……PV一つとってみても、使用している曲のミュージックビデオのようなものから、ストーリー形式に仕立てられたものまであり、実に多彩である。

そこで考える。「個性」とは何だろうか。何かを作り出すことは、個々人の個性の発露であると解釈する見方について、違和感を覚える人は少ないだろう。しかし一方で、脱個性化の過程が芸術であり、創作であるとする考え方もある。個性からの脱却をはかるとき、個性の役割は果たしてどこにあるのか。


それは触媒である。


Aという物質とBという物質を単に混ぜただけでは化学反応が起きない状態であるところに、Cという物質を入れてみる。すると初めて反応が起こる。しかし、反応後の化合物にCは含まれない。

荒唐無稽に見える発想や妄想も、完全な無から生じることはまずない。既存のもの―それはキャラクターであったり、音楽であったりする―が様々に分布している空間に、一人のPの個性が入り込む。そしてある時、一つの作品が生まれる。

もちろん、全ての作品がこうした過程を経て生まれるわけではないが、作品を作るのに行き詰ったときは、とりあえずそのテーマを寝かせておいても損はないと思う。「作ろう作ろう」とはやる気持ちを一旦クールダウンさせ、全然違うことをしているうちに、思わぬところで突破口が見つかるかもしれない。

それは触媒としてのあなたの個性が作用した、確かな瞬間なのだ。

2009上半期ニコマス20選+α

ということで選出したですよ。
リストはこちら。



最初は
「20選選べるわけない」

「16進数で20(0x20)にすれぅ」

「32個選べるぜ、ヒャッハー」
とか汚いことを考えていたのですが、さすがに気が引けたのでやめましたw

というわけで、標準のレギュレーションと、ただ自分がその作品を「好き」という基準だけでは絞り込めなかったために、独自に以下の判断基準を追加しました。

1. トータルで10回以上は見た
2. 初めて見た日から5日以上は連続で日参した
3. 開始20秒以内にマイリスト行きだった

また、これらの基準等により、惜しくも選外となった作品は次のリストにまとめました。こちらもいい作品ばかりなので、未見のものがあればぜひ見てみてください。