忍者ブログ
現実に右往左往しながら、ときどき動画を作る人の記録。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

だりーなにピロウズを聴かせたかったので



柏城P 作の元動画。ロックに限らず、聴いている音楽によって表情って結構影響されますよね



で、こちらが動画を見た後の勢いそのままに曲をピロウズOnlyに差し替えたものです。あえて全てB面の曲にするとかいろいろ考えてはみたものの、最初に聴いてもらうには代表曲を中心にしたほうが良かろうということで、次の構成になりました。


Track.1 - TRIP DANCER

8cmシングルリリース(1996/11/21)の後、「Please Mr.Lostman」(1997/1/22)に収録。このアルバムはピロウズがオルタナティブ・ロックやパワーポップの方向へと舵を切り始めた第3期最初のアルバムですが、まだ第2期などの雰囲気も感じさせる独特のメロウな曲調が印象的な一枚です。ただ、歌詞にあるんですが「ハンドルを縛ったり」「ハードルをくぐったり」するような生き方に「慣れるなんて絶対不可能さ」とバッサリ書くところが山中さわお、ひいてはピロウズというバンドの不器用さであり、そこがまた彼らの魅力なんだろうと思います。

Track.2 - ストレンジ カメレオン -ORIGINAL STORY-

こちらは第3期最初のシングルとして発売(1996/6/21)された後、先ほどのTRIP DANCERと同じく、Mr.Lostmanに収録されています。こちらはアルバムの方のバージョンです。「抱き合わせなんだろう 孤独と自由はいつでも」と言うクライマックスが美しい曲です。

Track.3 - LITTLE BUSTERS

ピロウズのファンは「バスターズ」という愛称で呼ばれています。この呼び名が曲として一つの完成を見たのが、まさにこのLITTLE BUSTERSで、同名のアルバム(1998/2/21)に収録されています。英語詞の部分で「ああそうだ、子どもには"ご主人様"なんていらねえのさ」と、おそらく音楽業界への若干の皮肉を込めて歌いながら、それでもメロディーは勇猛に展開される名曲です。

Track.4 - RUNNERS HIGH

クスリをキメてしまったような表情のウサギがジャケットになっている、同名のアルバム(1999/1/22)に収録。とにかくハイテンションに突き進む心象がよく表現されています。このアルバムはRUNNERS HIGHの後、最後のトラックとして「確かめに行こう」という曲を持ってくるんですが、これがまた大傑作で、淡々とした静かな進行を経て自分たちの目指す音楽、生き方ってなんなんだろうかと考え続けている姿勢がうかがわれる曲になっています。初めて聴いたときはほろりと涙が出ました。

Track.5 - Funny Bunny

「HAPPY BIVOUAC」(1999/12/2)に収録。思春期ど真ん中の10代後半に出会い、ものすごく歌詞に共感した思い出深い一曲。「君の夢が叶うのは 誰かのおかげじゃないぜ 風の強い日を選んで走ってきた」というのは本当にピロウズらしい応援歌で素敵だと思います。

Track.6 - 日々のうた

ようやく2000年台に突入。この曲は「Smile」(2001/10/31)収録。今どんなに流行っているように見えるものでも、必ず終わりというものは来てしまいますし、またそこに至る道のりでもいろいろと人や世代の入れ替わりが起きますが、だからこそ「忘れないでくれ 時が経って 僕は今より落ちぶれるけど」「笑わないでくれ 欲しいものに手を伸ばしてただけなんだ」という歌詞は実感をもって、それぞれの人の心に染み渡っていくんじゃないかなあ、と思っています。自分が、最後に作るPVで使いたい曲の有力候補でもあります。

Track.7 - 白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター (original egoistic version)

同名のマキシシングル(2002/8/1)にて初出の後、アルバム「Thank you, my twilight」(2002/10/23)にも収録されました。使用したのは後者の方で、はっと息を呑むような静かで美しい前奏が加えられています。

Track.8 - MARCH OF THE GOD

キングレコード所属時代で、ベスト盤ではない最後のアルバム、「MY FOOT」(2006/1/12)に収録。ほぼインストゥルメンタルで、ピロウズのインスト曲の中でも特に好きな一曲です。動画でも使った部分の盛り上がりは本当にたまらないです。

Track.9 - プレジャー・ソング

「Wake up! Wake up! Wake up!」(2007/5/2)に収録。avex traxへ移籍後に初めてリリースされたアルバムの中の一曲。弾むようなメロディーが特徴で、ふと口ずさんでみると自然と笑顔になってしまうような、そんな曲です。

以上、長々と書いてしまいましたが今回の使用曲へのコメントでした。

バスターズのみなさんは、自分なりのプレイリストづくりに挑戦してみると、過去に聴いたあんな曲・こんな曲が続々見つかってもれなく時間が大量に盗まれるのでぜひどうぞ(提案)
PR

No border

素晴らしい動画に出会いました。



蜂矢さんの作品。

いろいろ反論はあろうかと思うが、彼女たちが画面の向こう側に、私*が画面のこちら側にいるということは事実だ。だからこそ、その境界をやすやすと乗り越えてみせてくれるこの動画には喝采を禁じえない。

* 私「たち」と呼んでしまうと、諸々の方々から愛の嵐で吹き飛ばされそうなので遠慮しておく

Liner Note-mv13(sm12278695)



アイドルマスター2では彼女たちをプロデュースすることができない、という、今のところそう簡単には覆りそうもない現実。それはかなしいことです。

ああ、彼女たちは行ってしまった。
前のステージはからっぽだ。
誰もいない。

そう考えた人がいるとします。
ずっと空っぽのステージをぼんやりと見ているとします。
「昔はよかった」とかため息混じりに言いそうな顔をしているとします。

私のことです。

一方で、そういう人を励ましたい人がいるとします。
つらいけど、苦しいけど、
またやり直してみませんか。
そう言いたそうな顔をしているとします。

私のことです。

この動画は、外へのメッセージの形をとってはいますが、実質は「私」が「私」へ向けた動画です。

ですから、「おしつけがましい」「空虚なセリフを言わせるな」との動画内のコメントは、はい、おっしゃるとおりです。彼女たちの姿をしてはいますが、その中には私もいるからです。彼女たちの面をつけた、「誰かを励ましたい私」がいるからです。と同時に、「誰かに励まされたい私」も観客席にいます。そのため、私以外の誰かが観客席についたとき、反発を覚える場合があるのも無理からぬことと思います。


作風の割に、私は自分の考えを文章で表現することが苦手です。
あの日の後、ブログやTwitterで何か書こうとしてもうまく書けなくて、でも何か言わずにはいられなかった結果がこの動画です。
動画を作る側の私が「こうだ」と言っていても、見ている側の私が「いや、それはこっちだ」と言っている、鈍く痛むささくれのような食い違いや苦さがこの動画には入っています。「さ、行こうか」と「無責任なことを言うな」のポジ/ネガがどちらも捨てがたく、そして等しく私の感情だということも知っています

その揺れ動く気持ちを動画にしてみたら、こうなりました。
次のステージで彼女たちが歌う姿を見た後も、「私」はまた空のステージへ戻ってきてしまいます。
迷っています。フラフラしています。

ですが、そこでこう考えてみるのはどうでしょう。
これが、「始まる前の」ステージだとしたら。
明るいライトが点き、歓声が響く前のステージだとしたら。
華やかな舞台の少し前にいるだけだと考えてみたら。
歌詞にある「二度目のチャンス」は、そういうものじゃないかと私は思っています。


私はアイマスが好きで、ニコマスも好きです。
そしてそれらを好きだという人たちが好きです。

それは、意地汚くずるい偽善であるかもしれません。
しかしそう思うときがあっても、私はまだ好きであることをやめられません。


その一つの決意表明として。

Liner Note-jt01(sm12114092)

新しいの、できました。



いつか作りたかったんですよね、この動画。
まずは形にできたことを素直に喜びたいと思います。

以下、制作経緯など。

---



淫の蘭Pの作品、特に「情熱大陸×如月千早」は私にとって特別な位置にある作品です。そしてそれは、私がニコマスPになろうと思った根っこの部分に深く関わっています。
そのあたりの話は、以前にふぃるPとの対談記事にて書いていますので、その記事の中盤以降を読んでいただければ、知ることができるかと思います。

たぶん、あの動画がなかったら私は今でも一人の視聴者のままだったでしょう。ただ時折、視聴者のままでいた方がよかったかもしれないと思うこともないわけではありません。視聴者であったときには素直に感動したり、「すごいなあ」と言えたりしたはずの作品も、どこか批評家めいた目で見てしまったり、「どうすれば作れるのか」と考えてしまったり、気にしないとは言いつつもやはりどこかで数字を気にしてしまったり。そして、そんな自分が嫌になったり。

どこに分かれ道があったのか。それは片方に進んでからはじめて見えてくることもありますが、でも、それでも私は今選択した道が満足できるものであると、この頃ようやく納得できるようになりました。


さて、2009年1月のPデビュー以降、窪田さんのナレーションを使った物語として私は

春香


千早


あずさ





美希


亜美・真美


雪歩


の話を作ってきました(イラストを描いてもらった柏城Pには、毎度毎度だいぶ無茶な注文してました。ごめんw)。

その経験の積み重ね、その集大成が今回の「情熱大陸×水瀬伊織」だと個人的には思っています。

ここで、知ってる人は知っている、知らない人は知らなくてもいい制作上の自分ルール。

「前の作品で使ったナレーションは、以降に制作する作品では使わない」

今回もまた、性懲りも無く守ってみました。また今回の場合、リスペクトの対象である「情熱大陸×如月千早」と「情熱大陸×天海春香」で使われた音声も使っていません。我ながら頑固で融通のきかないやつだなあ、と思ったりもするのですが、やっぱり一人一人を語る言葉はそれぞれ違うものであった方がいいだろうという考えのもと、あえてその不自由を楽しんで作っています。

ただし。

情熱大陸×水瀬伊織での 「労働や職業ではなく、生き方として選んだ道に は終わりがない」 という部分は、情熱大陸×如月千早で使われた、「職業としてこの道を選んだわけではなく、生き方として選んだのだ」 という台詞ととてもよく似ています。気づかれた方もいらっしゃるかもしれません。

この部分は、元となったポッドキャストの回を聞くと、前者のナレーションが後者の直後に出てきます。内容的には重なってしまいますが、一歩だけ前へ進む思いを込めて使わせてもらいました。そしてこの台詞、私から淫の蘭Pへのメッセージでもあります。

ニコマスPは労働や職業じゃありませんし、また生き方なんて大それたものでもありません。ただ、誰かがすごいものを作って、そのすごさを受け止める人たちがいて、またそこから何かを始める人がいるなら、私たちが今見ている夢は続いていくんですよ、きっと。


なお、ふと気になって作業日数を確かめてみると、今回の動画は8月31日に制作を始め、9月6日にはMMDライブ動画以外の部分が完成していました。ということで、実質の制作期間としてはちょうど一週間ですね。この間は本当にこの動画のことだけを考えて過ごしていたように思います。作り始める前はもっと時間がかかるものと思っていたのですが、人間本気になって取り組めば、自分でも信じられないくらいのエネルギーを一つのことに注ぎ込めるのだと感じました。

そういった意味で、私も動画の中の彼女ほどではありませんが、ちょっぴり成長できたのかもしれません。

Liner Note-07(sm11123150)&mv12(sm11807068)

07(sm11123150)



3か月くらい経ってからようやくライナーノートなど書いてみるこのていたらく。

亜美・真美の話から実に8ヶ月ぶり。
このシリーズはこれでちょっと一区切りかなあ、と思っています。
やりたいことはいろいろやってきたし、一つのまとめとしてこの動画があるような気がします。

ただ今回は、いつもインストで終わるようなエンディングを歌モノのPVにして、雪歩に朗々と歌ってもらいました。
雪歩っていう子は、気弱で自信がなさそうに見えるけれども(そして最初は実際そうかもしれないのだけれども)、徐々に徐々にアイドルとして経験を重ねていくごとに、自分で歩もうとする強さが育っていくのが特に感じられる子だとも思います。

なので。
最後のPVの歌の歌詞はすっごく青臭くてへこんでいる感じなのに、曲調は力強く、彼女はこれでもかと笑顔で歌います。
全然、絶望なんかしていません。

また、PVに入る直前では

派手でもなく、目立つこともないのに、
なんだかかっこいい人たち。

そして、アイドルの私と普通の日々を送る私が、
どちらも、同じだけ大切な私なんだってこと。


というメッセージが出てきます。雪歩は、少し回り道をする途中で出会ったそういう「大人」たちを見て、無理につける仮面のようなものではなく、自分の一部としてアイドルという生き方に向かい合っていく。そんな気持ちを抱いたようです。

もちろん、これ以降も彼女は、つらいことやめげたくなるような瞬間をたくさん経験するでしょう。でも、そんなとき彼女は心の中でこの歌を歌って、また顔を上げて、再び歩き出すことを選ぶのだろうと思います。そういうエールを込めた話でした。

---

mv12(sm11807068)



暑がりな私は、実のところあまり夏という季節が好きではありません。
でも、そういう季節でも空だったり道端だったり、さまざまな所を見渡すと、はっとするような瞬間だとか言葉を失ってぼーっと眺めてしまうような景色がたくさん転がっています。

このPVは、夏の空ならではの量感がある雲と濃い陰影をより強調しつつも、ガラス細工のような真がその前で淡々と踊ることで一時の涼を得られるような感じで作りました。
そのため、真の存在感はやや薄まっていますが、決して「いなくてもいい」わけではありません。
私としては、この動画での真は、ラムネに入っている炭酸のようなものだと思っています。入っていないと甘ったるい水になってしまうところを、それを加えることでぐっと引き締める。そんな存在です。

そして、彼女の向こうに見える空は、他の部分の空とは少し色を変えています。その色の違いに、彼女が人形ではなく感情を持つ人間だという意味を込めてみました。静かに踊っているようでも、内面では喜び・興奮・不安・緊張など多くの感情が揺らいでいる。それが、人間だと思います。

でもまあ、こういったものは作者の解釈なので、これを見てくれた人が「きれいだなー」と何となく眺めて、そして次の動画を見に行くくらいのあっさりした感じで通りすぎていく方が、むしろこの動画の捉えられ方としてはよいように思います。夏の動画で、こってりした解説は無粋というものでしょうか。